「怠惰」

今日は、「怠惰」の考察をしたいと思います。
前回考察した「暴食」と、この「怠惰」は、私の「幸せ」を阻む二大要素です。
 
「暴食」の方は「○○しない」ということを心がければよいのですが、
「怠惰」は「○○する」ことを常に選ぶ必要があるので、
「怠惰」の方が克服するには困難が伴います。
 
さてこの「怠惰」には、学生の頃から今までずっと苦しめられてきたのですが、
その分「考察」歴が最も長い、私自身の「人生」の「課題」となるような「欲望」なのです。
私の「人生」の「意味」の一つとして、
私はこの「怠惰」の克服法を理論的に解明したいと思います。
 
さて現状、私が至った結論は以下のようなものでした。
「怠惰」の「本質」は、「ガス欠」である。
 
本来「人」は、「生きるため」に必要なことを「実行」したいと考えるものです。
それが「実行」できないと、とても苦しくなります。
ですから、ニートの方々は、
「社会」でなんとか生きている人々よりも、本当に苦しい「人生」を送っています。
 
「社会」でなんとか生きている私達よりも、彼らは「人生」で激しい苦行を積んでいる。
「仏教」的解釈なら、ニートの方々は、私達よりも尊いです。
決して、軽んじられるような存在ではありません。
 
少し話が脱線しましたが、
「怠惰」の「本質」が「ガス欠」であるという点に話を戻したいと思います。
一体、何の「ガス欠」なのか?
この点、私は非常に試行錯誤しました。
 
「精神論」では解決しないというのが、最近の結論です。
つまり本人一人の力では、「ガス」は補給できない。
いくら「決意」しようが、「使命」を持とうが、
「ガス欠」は解消せず、推進力が発生しない。
 
「一人」で「考察」して、「一人」で「人生」を攻略しようといきこんでいた私が
辿り着いた結論は少々不本意なものでした。
今は、他者との「つながり」が、その「ガス」だと思っています。
 
私は現在独身であり、他者との「つながり」を享受する立場にありません。
しかし先日、私は引っ越しをしたのですが、
その際に両親と弟と妹が引っ越しを手伝ってくれたのです。
その時、感じました。「つながり」の「温かさ」と「エネルギー」を。
そしてそれは、「一人」で創り出せるようなものではないと、思い知ったのです。
 
私は、今まで仕事を一生懸命やってきました。
支援先のお客様の役に立つことを、「心」の糧に。
しかし今までの私は「与える」ことに夢中で、「頂く」ことを忌避していました。
なぜなら、「自分」のことを大事にしていなかったから。
「誰かの役に立てば、それでいい」そんな想いで仕事をしてきたのです。
この理不尽な世界の代わりに、俺が「与えて」やる。
 
それで数年はやってこれても、いつしか私の「心」は「ガス欠」になりました。
「人」は、何かを「心」に補充しないと、動けなくなる。
 
きっとアンパンマンも、
ジャムおじさんやバタ子さん、チーズとの「つながり」があるからこそ、
今日も元気にパトロールできるのです。
 
あなたは、「つながり」をどこから補給していますか?
「家族」からですか?
「家族」は、あなたが元気に暮らしていることを喜んでくれますか?
「職場」からですか?
「職場」の上司は、あなたのことを「信」じてくれていますか?
 
もし、今はどこにも「つながり」を見い出せないのなら、
この「ブログ」で「つながり」ましょう。
私は、あなたの「幸せ」を真剣に応援する者です。