「心」の「糧」

「人」はパンのみに生きるにあらず。
 
私は今まで生きてきて、
そしてブログで「人生」について考察を続けてきて、
ある一つのことに気づきました。
 
それは、シンプルだけど生きる上で最重要の事実です。
 
「人」の「体」は食べ物を必要とします。
同じように「人」の「心」にも「糧」が必要だということに、私は気づいたのです。
 
「心」の糧は、「生きる」気力に結びつきます。
例えば「働く」ことは、「生きる」ことそのものと言えるでしょう。
私達は、好むと好まざるに関わらず、「生きる」ために「働き」ます。
「働く」ことは、好きでやっていることではない可能性が高い訳ですが、
この時に「心」の「糧」を、必要最低限の量も摂れていないと、
「心」はガス欠になり、「働く」気力を確保できないまま、
「働き」続けなければならなくなるのです。
 
このようなことに気づいていないと、
何だかよくわからないけど「不幸」だという状態になってしまいます。
まるで、ガラス窓に体当たりを続ける小虫のように。
なぜ外に出られないのか理解できずに、
ガラスという存在を知らない小虫は永遠にガラス窓に体当たりを続けるのです。
 
「心」にも「糧」が必要。
このことにさえ気づけば、
ようやく「今の苦しい状況」を自律的に脱出することができるのです。
「糧」とは何かということを具体的に見極める作業に入ることが可能となります。
 
私の見極めた「心」の「糧」はいくつかありますが、
一番大きいものは「人」との「つながり」です。
子どもの頃は一般的には両親や家族から
十分にこの「心」の「糧」を手に入れることができますが、
大人になるとこの「心」の「糧」は入手しづらくなります。
特に、未婚率の高い現代においては。
 
そういう時代であるからこそ、「心」の栄養学が必要なのです。
自分の「心」の「糧」とは何なのか?
これを各人が、真剣に考える必要が出てきています。
本当に大事な知識なのに、学校やテレビなどのメディアでは全く教えてくれないのです。
 
私は以前からこのブログで提唱していますが、
この資本主義・物質主義の現代においては、
各人が「哲学者」にならないといけないと考えています。
そうしないと、個人の「幸せ」は、「社会」の「常識」や「誘導」に奪い去られるのです。
例えば、「勝ち組」「負け組」という「価値観」が大手をふって存在する「社会」に、
私はため息をつきます。
この「競争資本主義社会」において、
はたして「勝ち組」に所属する人々の割合は、全体の何割でしょうか?
多くて、2割〜3割ぐらいだと思います。
7割以上の「負け組」は「不幸」でいなさいという「価値観」を
素直に受け入れている人が多すぎです。
 
自分の「幸せ」くらい、自分の「価値観」で感じましょう。
 
私が考える「心」の「糧」は、「人」との「つながり」と描きましたが、
これは「恋人」や「家族」以外でも、摂取できると考えている次第です。
例えば、私はコンサルティングの仕事をしていますが、
お客様やお客様の会社の担当者の方が困っていることを、
積極的に助けたいと願っています。
それを実現すると、お客様から「心」の「つながり」を頂き、
私の「心」は満たされていくのです。
はたまた電車で席を譲った時の、ご高齢の方の掛け値なしの「笑顔」に、
私の疲弊した「心」は逆に救われたりしているのです。
 
他にも、私の「心」の「糧」としては、
「幸せ」を論理的に考察しているフランクル心理学で言うところの
「創造価値」があります。
フランクル心理学については、過去ブログをご覧下さい。)
「創造価値」の観点において、
素晴らしいブログ記事を紡ぐことができると、私の「心」は穏やかに満たされるのです。
 
これを読んでいるあなたは、「心」の「糧」をお持ちですか?
決して、お金やステータスや恋人や結婚等の「勝ち組」要因だけが
「心」の「糧」ではありませんよ。
むしろ「勝ち組」要因から目を離したところに、
自分にとってもっと大事な「糧」が存在するものです。
 
是非、「心」の「ガス欠」になる前に、
ご自身の「心」の「糧」を探してみることをオススメします。