「プア充」

最近、「プア充」という言葉を知りました。
 
「プア充」は、宗教学者島田裕巳先生が提唱した言葉です。
意味は読んで字のごとく、
裕福ではないけど(プア)、充実した「人生」を送る人々、
もしくは、そういった価値観、を指します。
 
つまり、「人生」における2大資源の「お金」と「時間」のうち、
「時間」を豊かにすることこそが、
「幸せ」に直結することを喝破した人々と言えるのではないでしょうか。
 
私はこの言葉を知ったときに、ちょっと興奮しました。
「社会」が「人生」の「本質」に一歩近づいたなと思ったからです。
 
もちろん、「プア充」のような概念は昔からありました。
しかし、そのもやもやした概念を固定化させる「言葉」が生まれることによって、
「社会」はその概念の議論を初め、
その概念を「市民権を得た一つの価値観」として認知するのです。
そして「プア充」という言葉は、自律的に様々な人々の想念を纏い始めます。
例えば、大前研一氏は「プア充時代は長くは続かぬ」と否定的な見解です。
 
私は、既に書いているとおり、この「プア充」を非常に肯定的に捉えています。
それは、全ての人々が「幸せ」になるためには、
有限でゼロサムゲームの「モノ」である「お金」に頼っていてはダメだと考えているからです。
前回のブログでも描きましたが、
「お金」で「幸せ」になれるのは何割かの「お金持ち」だけ。
その「お金持ち」ですら、「お金」を失う不安に苛まれ、
「お金」を狙う、あるいは嫉妬する他者の攻撃を受け続けるのです。
 
また、「お金の切れ目が縁の切れ目」という言葉の通り、
「お金」で築ける「縁」は非常に薄いモノとなります。
逆に遺産相続や離婚の慰謝料等で、兄弟家族も引き裂く「毒薬」となる確率が高い。
 
「お金」で得られるのって何でしょう?
他者よりも恵まれているという「優越感」?
それとも、「死」「老」「病」に備えるために、老後の資金があるという「安心感」?
もちろん、そういった「感覚」は、自身の「幸せ」にプラスに働くでしょう。
しかし、それらの「感覚」を得るために、
最も大切な「時間」を犠牲にするのは、本末転倒のような気がします。
 
毎日残業ばかりで、休みもなく、会社のためあるいは家族のために働き続ける。
それは、とても立派なことですが・・・
でも、そういう人こそ、少し肩の力を抜いて「幸せ」になって欲しいと私は願っています。
 
子供を有名大学に進学させるために教育費を稼ぐことは大切なことだとは思いますが、
もしかしたら、子供が有名大学に行かなくても、
もっと一緒の「時間」を増やして様々なことを家族で体験することの方が、
子供にとっても両親にとっても「幸せ」なことだったりしませんか?
 
何でもかんでも「お金」一辺倒で「幸せ」を得ようとするのは、
世の中の流れに乗りすぎのような気がします。
 
本当に、有名大学に行くことが「幸せ」の必要条件なのですか?
もっと重要な「幸せ」の必要条件は、本当にないのでしょうか?
 
私は、「心」のあり方こそが「幸せ」の源泉だと考えています。
ヴィクトール・フランクル博士がホロコーストで体験したように、
ホロコーストに収監された環境下で、
あまりの悲観から動物のように理性をなくしてしまった人がいる一方で、
自身の尊厳を最後まで失わずに窓の外の木が花を咲かせるのを喜ぶ「心」の人がいたそうです。
詳しくは、是非彼の名著「夜と霧」を読んで下さい。
「人生」について「人間」について、本当に深く考えさせられる一冊です。
 
「心」が「幸せ」を感じられるようにするためには、
他の「心」との「つながり」が必要不可欠だと、私は考えています。
絶望のホロコーストの中にあって、窓の外の木と「心」をつなげ、
その木が立派に花を咲かせたことを喜べる人こそが、「幸せ」を感じる「あり方」なのです。
 
私の経験からすると、
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるとおり、
裕福な人との「心」はつなぎにくいように思います。
それよりも、持たざる人々の方が、比較的しっかりと「心」をつなぎやすい。
なぜならば、裕福なプライドの高い人々に比べると、彼らは助けられる機会が多いから。
助けられた時の「人」の「心」の暖かさを知っているから。
彼らは、「お金」や「モノ」で自分を守っていない。
 
そういった「プア」な人の方が、本当の「幸せ」を知っているのかもしれませんね。
 
もし私に子供がいたら、勉強も教えたいけど、
それ以上に、いっぱい「心」で触れ合いたいですね。
残業もそこそこに切り上げて、たくさんたくさん話をしたい。
「世界」について話し合いたい。「人」について話し合いたい。「幸せ」について話し合いたい。
そして、たくさんの「世界」を見に行きたい。
それから、一緒に雑草のような「生命」を見て語らいたい。
 
そうした時間を積み重ねることは、私やパートナーにとってきっと「幸せ」な時間だし、
子供の「心」も豊かになって、「幸せ」の感じ方が培われるのかなと思う次第です。
 
「幸せ」について、もっと真剣に考えましょう。
本当に「お金」だけが、「幸せ」の源泉ですか?