そうだ。「一生懸命教」を創ろう!

昔とてもお世話になっている方から、ある相談を受けました。
その方にも私にも「ご縁」の深い方がある教室に通われていて、
心配をされているようでした。
 
その教室で教えていることは、このブログでも「考察」している「人生」の「生き方」です。
その方曰く、中身は「宗教」であると。
まず知らなきゃ何も始まらないので、「まず調べてみます」とその方に話して、
家に帰ってからインターネットでその「教室」のホームページを検索しました。
その「教室」が出版している本も、ネットで購入した次第です。
 
何でもそうですが、私はまず「知る」ことから始めます。
物事の「本質」は外見や印象にはなく、中身に。
「知らず」に責めるようなことはしたくない。
それに「人生」や「生き方」については私も十分に「考察」をしているので、
わかりづらい抽象的な表現も私には読み解くことができるかもしれません。
 
さてホームページを開いて、教室の紹介ページやブログに目を通したのです。
「なるほど」と思いました。
もちろん具体的な内容は、教室で教わらなければわからないようですが、
これに納得した方が学んでいけば、私の考える「幸せ」な状態になれそうです。
 
ただしその時点で、「違和感」を感じたのも事実。
私も、自分なりに気づいたり考察したりした「生き方」のコツをブログで公開し、
読んで頂いた方の「幸せ」や「生き方」に対する「気づき」の一助にして頂いて、
「世界」を「幸せ」にしたいなぁと考えている野心家(?)です。
 
この時に調べた教室も「世界」を「幸せ」にすることを目的にしています。
自分のやろうとしていることと一体何が違うんだろうと、当時じっくり「考察」した次第です。
 
さて、この先は一般論のお話となります。
上記「考察」の際に行ったことの一つが、
もし私がこのブログの「考察」に基づいて「一生懸命教」という新興宗教を立ち上げたら、
どうなるだろうという「思考実験」です。
この「思考実験」の結果を基に、
日本の現代社会において大きな力を保持し続ける「新興宗教」の「本質」を
論じてみたいと思います。
 
もし私が「一生懸命教」を開くとしたら・・・
日本社会で猛威をふるっている「新興宗教」との対比点を以下に並べたいと思います。
 
(1)情報の発信者
 当然にして、私は神なんかではありません。
 もちろん何らかの代弁者でもありません。
 何らかをマスターした特別な人でもありません。
 ここにいるのは、皆さんと全く同じ人間です。
 全く、偉くありません。
 
(2)お金
 でも私は、「真剣」に「大まじめ」に「世界」を「幸せ」にしたいと考えています。
 だから、何らかの方法で「苦しんでいる人」の「気づき」の一助になるような
 情報を世の中に「発信」したい。
 インターネットの発達のお陰で、
 お金も時間もない私でも、
 なんと「無料」で、忙しい日常の合間に、そういった情報を流すことができるのです。
 インターネットのない時代であったら、
 情報を「発信」するには結構な「お金」が必要でした。
 書籍の出版代だけではありません。
 膨大な広告や勧誘する組織の維持運営の資金を工面しなければ、
 人にその伝えたい情報を読んでもらえない訳です。
 ですから一昔前の宗教活動では、
 その発信する情報を信じる人からお金を集めないとやっていけない部分はあると思います。
 しかしインターネットを使えば、上記のことが全て「無料」でできるのです。
 という訳で、我が「一生懸命教」ではなんと「無料」で大切な教義(?)を発信します。
 「情報」を隠すというようなことも、一切いたしません。
 それに、私は「プア充」に「価値」を見出している人間です。
 生活費も自分で仕事してなんとかしますので、
 信者の方々からお金を頂くことは一切しません。
 むしろ、他の方々のように日々「一生懸命」働いている人が布教した方が、
 信者の方々からの「共感」や「共鳴」を得やすいのでは?
 つまり、ウィンドウズ型ではなく、リナックス型のオープンソース宗教なのです。
 
(3)真理
 我が「一生懸命教」の真理は、日々「一生懸命」生きている人々が感じる「気づき」です。
 私の発信する情報は、私にとっては真理でも、あなたにとっては真理ではありません。
 あなたが日々「一生懸命」生きている日常や体験から得られた「気づき」が「真理」です。
 私の発信する情報は、あくまでもそのことに気づいてもらうための、
 私自身の真理探究の実演にすぎません。
 真理は第三者が発信する情報の中には存在せず、
 それぞれ各人が日々「一生懸命」生きている中に宿るのです。
 だから、私が「正解」で、あなたが「間違い」、ということはありません。
 全ての人々が「正解」なのです。
 私にはそれがわかるので、
 今までの多くの人の「一生懸命」から抽出された「正解」を頂いて、
 自身の「正解」をブラッシュアップしてきました。
 
・・・まあ、こんな感じの「思考実験」でした。
今現在、宗教や新興宗教を信じている人々は、
この上記3つの問いにどう答えるのかな?と思います。
これらの問いを自分の「心」で「考察」した時に、何か感じるものはありますか?