今日の「気づき」

「人生」は、日々発見に満ちています。
 
道ばたの雑草という「生命」を見て、大切なことに気づいたり、
道に倒れて息をひきとった母猫をじっと見つめる2匹の兄弟猫を見て、
彼らの眼差しに「人世」の全てのことを考え直させられたり、
自分の雛か卵を食べられたのか、
小さな小鳥がヒステリックに鳴きながら、
大きなカラスに猛然と攻撃を繰り返すのを見かけて、
「愛」とこの世の「理不尽」のことを深く考えさせられたり。
 
生きるのに大切なことは、偉い先生だけが教えてくれると思ったら大間違いです。
 
「一生懸命」生きている全ての「生命」から、学ぶことができます。
「真理」は「一生懸命」に宿るのです。
 
今日は、仕事でお会いしていた女性のお子さんの言葉からとても深い「気づき」を得たので、
それを、ブログに描き留めたいと思います。
そのお子さんは、まだ5才です。
 
仕事でお会いした女性がおっしゃるには、
実写版のサザエさんを息子さんと見ていて、
その息子さんが、テーマ曲の「365歩のマーチ」を気に入ったそうです。
そしてそのお子さんは、その唄を歌いながら、歌詞の意味をママ(その女性)に聴きました。
ママは、
「「幸せ」になるために「頑張る」って唄だよ。だから、頑張らなきゃね」って言うと、
そのお子さんは、
「違うよ。「頑張る」ことが「幸せ」なんだよ。」って返したのだそうです。
 
その5歳児とは思えないメタ的な発想やその深い意味に驚かされたというお話を、
その女性は私にしてくれた訳ですね。
私もそのお話を聴いて、その子の言葉にとても感心しました。
 
人は皆、「幸せ」のために頑張っていると思いますが、
そうそういつも頑張れる訳ではありません。
私も経験しましたが、頑張れない時期というのがあるのです。
頑張れない時というのは、本当に辛いものです。
その状態の典型的な例は「鬱」の状態だと思います。
頑張れない時は、頑張れない自分を責めるので、
より自分を追い詰める「苦しみ」の悪循環に入ってしまうのです。
 
「生命」の「本質」は「一生懸命」だと、私は考えています。
だから「一生懸命」になれる状態や環境にある時は、「生命」は「幸せ」になれる。
逆に「一生懸命」を阻害される状況では、
「生命」は大きなストレスを抱えてしまうと考える次第です。
 
「人」や「生命」に、怠け者なんていません。
皆「一生懸命」生きるために生まれた。
絶対に「心」の奥底では、「一生懸命」になれる状態や環境を強く望んでいるはずなのです。
 
雑草は、生存競争に打ち勝ち、環境の整った場所に芽生えることができたら、
「一生懸命」に成長して葉を茂らせ花を咲かせます。
チーターは、己の才能を活かして、
その俊足で獲物を捕まえることに「喜び」を覚えているのではないでしょうか?
 
しかしそんなチーターも、動物園のオリの中に閉じ込められて、
自慢の俊足で走れなくなったら、それでも「幸せ」なのかな?
確かに食うには困らないでしょうけど、
「生命」から「一生懸命」を奪ったらどうなるんだろう?
 
そんなことを、5歳児のお子さんの「言葉」から思いました。
今日気づいたことは、
もし今苦しかったとしたら、
「一生懸命」になれる「もの」や「環境」や「仲間」を
探した方がいいんじゃないのかなってこと。
「一生懸命」生きることができないと、私なんかは苦しいのです。
 
そんな訳で、
私は、私の「才能」を活かして、今日も「一生懸命」ブログを綴ります。