近況報告、そして「一生懸命」

1週間以上、ご無沙汰をしてしまいました。
 
さあ、2014年のブログを描き始めましょう。
 
前回のブログでも描きましたが、
私は1月で転職をしました。
 
転職に併せて引越しもしたのでバタバタしてしまい、
描きたいネタはたくさん貯まっているのに、
ブログを描けない状況でした。
 
さて今年、初のテーマは「一生懸命」にしようと思います。
「なんだまたか?」と思われてしまうかもしれませんが(笑)、
やっぱり「幸せ」になる上で大事なことだと確信しているので、
いろんな角度から「一生懸命」を描きたいと思う次第です。
 
今日は、「一生懸命」が「幸せ」であるということを、
ちょっと実証できたお話をします。
 
それは、転職先での体験談。
まだ、勤め始めて一週間も経っていないのですが、
私は今「幸せ」です。
 
順を追って説明しましょう。
 
(1)新しい職場では、以下のような条件が揃っています
・直属の上司である経営者が、
 私の強みを的確に評価して頂き、
 私の「才能」を最大限に発揮できるよう心を砕いて頂いている
・周りのスタッフの方々が、心の暖かい人々であり、
 かつ仕事に曇りなく向かう真っ直ぐなマインドをお持ちになっている
 
(2)そうすると私は、何事にも囚われずに「一生懸命」に仕事をすることができます。
・組織の皆さんの「幸せ」のために全力で
 
(3)そんな感じで仕事をしていると、1日があっという間に過ぎていきます。
・それが「幸せ」なのです
・私という「生命」の炎が完全燃焼しています
 
「一生懸命」とは、何事にも囚われずに「生命」を完全燃焼させること。
そのためには、以下の2つの要件を満たす必要があります。
(a)私の中の「一生懸命」の阻害要素を取り除く
(b)「一生懸命」を阻害しない環境に生きる
 
(a)について説明します。
 自分の中の「一生懸命」の阻害要素とは、「欲」です。
 キリスト教の7つの大罪「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」。
 これらの「欲」は、「一生懸命」を阻害します。
 
 例えば、「傲慢」に「心」を支配されている時、
 はたして人は「一生懸命」生きることができるでしょうか?
 「傲慢」とは、他者の「一生懸命」を見ることを怠って生きることです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 例えば、「嫉妬」に「心」が支配されている時。
 「嫉妬」とは、自身の中にいてくれている「才能」を見ることを怠って生きることです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 例えば、「憤怒」に「心」を許してしまう人。
 「憤怒」とは、「傲慢」ゆえに自身の「欲」を野放しにしている生き方。
 「傲慢」と同様に、他者の「一生懸命」を見ることを怠って生きることです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 例えば、「強欲」に「心」が支配されている時。
 「強欲」とは、「モノ」に頼り自身の「心」を成長させることを怠って生きることです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 例えば、「暴食」に「心」が支配されている時。
 「暴食」とは、真の「心」の糧を探すことを怠り「食欲」という快楽に溺れてしまう生き方。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 例えば、「色欲」に「心」が支配されている時。
 「色欲」とは「他者」を「モノ」として捉え、
 他者の「一生懸命」を見ることを怠って生きることです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 最後に、「怠惰」に「心」が支配されている時。
 「怠けたい」という「欲」は、自身の「心」の声に耳を貸すことを怠って生きることです。
 鬱の状態のように「怠けざるを得ない」状況の時には、
 「一生懸命」に生きられないことに「心」が悲鳴をあげるから、とても苦しい。
 鬱でもないのに「一生懸命」を意図的に回避することは、
 自身の「心」の声に耳を貸すことを怠っているのです。
 怠っている以上、「一生懸命」生きているとは言えません。
 
 やはり「欲」は、「生命」の「幸せ」への障害物であると私は考えます。
 「お金」を多く蓄えることで「幸せ」になることはできない。
 「お金」で誰かを護れた時に「幸せ」を感じるのだと思います。
 
(b)について、説明します。
 「欲」のない健やかな職場や環境を探すことです。
 「欲」に支配されていない、温かい「心」の、
 トップもスタッフも「一生懸命」に生きている職場を。
 私の場合は、少々できすぎた職場かもしれません。
 なかなかそういう職場を見つけることは難しいかもしれませんが、
 生きる環境の目指す方向性は、この一点だと私は考える次第です。
 「欲」なく「一生懸命」な環境。
 「欲」に支配された上司やスタッフがいる環境の生き苦しさは、
 多くの方が同意されるところなのではないでしょうか?
 私は結婚していないので多くを語れませんが、
 生涯のパートナーを見つける場合にも、この要件は非常に重要であると考えます。
 お互いに相手を護り支えることに「一生懸命」になれない家庭環境は、不遇です。
 
今、私という「生命」の「種」は、
芽生え成長するのにとても適した土壌に落とされました。
名もない雑草ではありますが、誰も見たことのない世界に一つだけの雑草です。
どんな「花」を咲かせるのか自分自身でもわかりませんが、
ぐんぐん健やかに「茎」を伸ばし、たくさんの「葉」を太陽に向かって大きく茂らせ、
そして涙が出るほど素敵な世界に一つだけの「花」を、私は咲かせます。
 
それが「生きる」ということなのだと、想う次第です。