「人生」は「物語」を噛み締めると乙な味がする

「人生」は、選択の連続です。
今日は、お客様の所からの帰り道に、一つの選択肢がありました。
 
明日は名古屋への出張なのですが、家に帰るか、それとも実家に久しぶりに戻るか悩み、
実家に戻ることにしました。
本当は家に帰った方が翌日楽なのですが、
最近顔を出してないので、少し面倒くさいなと思いながらの移動。
実家は、お客様の所からは1時間半で移動でき、
早朝に出れば翌日の名古屋にも間に合います。
 
実家に移動する車中で、
勤務先で読むように言われている新人の職場研修に関する本を読んでいました。
そうすると、ちょうど今職場で課題となっていることが書かれていたので、
その内容を忘れないうちに、同僚にメールしました。
ここで思ったことは、
「本を読む時間ができてよかった。実家に帰る選択をしてよかったな^^」ってこと。
 
それから私は電車が終点についたときに、寝ている人を起こすことにしています。
(その経緯は、過去ブログ「親切の連鎖」にて)
今回も寝ている人を起こそうとしたら、
なんと私とは別の人が、その寝ている人の肩を揺すって起こされたのです。
そのとき、すごいほっこりと暖かい気持ちになりました。
再び「ああ、やっぱり実家に帰る選択をして正解だな^^」と感じた次第です。
 
「人生」には、「物語」がたくさん隠れています。
それをどれだけ発見するかで、「人生」の味わいや深みが変わってくるのです。
あなたは、「人生」に「物語」を見ていますか?
 
最近世間で流行りの「物語」は、自己実現のサクセスストーリー。
それから、恋愛ストーリーも大人気。
 
しかし、しかし、「物語」は、それだけではありません。
もっと、もっと、たくさんの「物語」を日常から紡ぐことができるのです。
どうすれば、「物語」を注意深く見つけることができるようになるのか?
 
例えば、ブログや日記を描くことです。
日々の出来事への注意力が高まるでしょう。
 
例えば、小説や俳句を創りましょう。
あなたは、日常の中の深淵な機微に気づくことでしょう。
 
例えば、純文学にも興味を持ってみましょう。
「物語」は、サクセスストーリーや恋愛小説だけではないことに気づくはず。
 
古代ギリシャ人は、夜空の星ぼしからあの壮大なギリシャ神話を紡ぎあげました。
さあ、私達も古代ギリシャ人のように「人生」の「物語」に耳を傾けるのです。
ギリシャ神話よりも、もっともっと情熱的な、
あなたのあなたによるあたなのための「物語」を。
 
私は今宵も、「日常」から「物語」を紡いでネットの海に流します。
「ああ、乙なものかな人生」と、「心」を込めて唄い続けるのです。