「働く理由」「生きる理由」

仕事をする上で、「働く理由」は重要です。
「働く理由」次第で、
「働くこと」は「苦しみ」にもなるし「喜び」にもなるのだと思います。
 
そしてその人が「働くこと」をどう感じているかによって、
「人生」の幸不幸も決まってくると思うのです。
人は「人生」のほとんどの時間を「仕事」に費やしていますから。
 
さて、この「働く理由」。
これを考察した理論として、
ハーズバーグの動機づけ衛生理論というものがあります。
コトバンクの解説
「働く理由」は以下の2種類にわかれるというのが、この理論の趣旨です。
(1)衛生要因
 満たされないと不満足を引き起こす要因。満たされて当たり前だと感じる要因。
 会社の提供する環境:「監督」「給与」「就業時間」「作業条件」など。
(2)動機づけ要因
 満たされていなくても不満足は起きないが、満たされると満足感を覚える要因。
 自分で得る感覚:「達成すること」「承認されること」「仕事そのもの」「成長」など。
 
さて、あなたの「働く理由」が、外部から与えられる「衛生要因」だけである場合、
「働くこと」は「苦しみ」となります。
なにしろ、満たされて当たり前の「要因」ですから。
そして、それが少しでも欠けると「不満」が発生する。
 
例えば、「お給料」を働く理由とする場合。
生活することもできない「低い給与」だと「不満」が出ます。
一方、生活できる「十分な給与」の場合は「不満」は出ない訳です。
更に、世間から見たら「高給」と呼ばれる額のを得ている場合も、
もちろん「不満」は出ません。
 
しかし、「高給」が満足を提供してくれるかというと、実はそうではないのです。
例えば、同等の「高給」をもらっていた自分以外の同僚達の給与が更に上昇し、
自分の給与だけ上昇しなかった場合、
もともと十分な「高給」をもらっているのにも関わらず、「満足」は持続しません。
 
結局、外部から与えられているニンジンでは、
「やる気」を永遠に出すことができないのです。
もらったニンジンは既得権益になり、更にたくさんもらうことを望んでしまいます。
 
一方、内部から得る感覚である「動機づけ要因」の場合、
その状態があれば、そこに「満足」が生まれます。
例えば、「成長」を感じながら仕事をしていれば、そこには「満足」があり、
その「満足」が枯渇することはない訳です。
自分が「成長」を感じている状態で、
周りの人が自分よりも早い「成長」をしていると感じたとしても、
自分の「成長」への「満足」は消えません。
 
ですから、「何のために働くのか」という理由が外部から与えられる理由だけですと、
ずっと「満足」して仕事を続けることはできない訳なのです。
最初「仕事」を始めたときは、
ほとんどの人が「外部要因」しか動機として持っていないと思います。
しかしそういった場合、「仕事」が給与等の待遇との交換条件になってしまうため、
「仕事」をすることが「被害」になってしまうのです。
お給料が特に増える訳でない追加の仕事を頼まれたら、それは「苦しみ」でしかありません。
 
そこで、「何のために働くのか」という問いに対して、
内部から得る感覚を「答え」として見つけておくのが、
「幸せ」に仕事をするコツとなる訳です。
 
よく「心」に耳を澄ませて下さい。
きっと「仕事」をしていると、内部から湧き出る「喜び」を感じる瞬間があるはずです。
 
その「喜び」を追っていくのが、「幸せ」に働くコツだと思うのです。
 
さて「働く理由」について今まで述べてきましたが、
これは「生きる理由」にも当てはまると、私は考えています。
 
「生きる理由」も「働く理由」と同様に、人は最初「外部要因」しか持っていません。
すなわり、「死にたくないから生きる」とか「快楽のために生きる」とか。
「死」という「恐怖」。「快楽」という追っ手も追っ手も果てがない「ニンジン」。
こういったもののために生きていたら、
「人生」において常に「不満」は抱いても、常に「満足」を得ることはできません。
 
そこで、ここでもやはり私達は「内部要因」を探す必要がある訳です。
 
感じて下さい。「心」に耳をすませて下さい。
生きていて、内部から湧き出る「喜び」を感じる瞬間を。
 
その「心」を満たす「喜び」を追い求めることこそが、
「幸せ」な「人生」を歩むコツなのです。
 
「人生」で「道」に迷ったら、自分の「心」に聴いてみましょう。
あなたが必要とする真の「答え」は、
いつもあなたの「心」が教えてくれるのだと、私は思います。
 
「世間の価値観」や「欲望」という「雑音」を振り払って、
あなた自身から湧き出る「心」の声に、耳を傾けるのです。