「生きる」こととは、「やりたいこと」を見つけること

さて、久しぶりにブログを描こうと思います。
 
私は最近、ずっとふぬけていました。
ただただ「時間」を浪費するばかりで、
ここ数週間、「生きている」という実感が全く湧きませんでした。
 
こういう時に、私はしばらくすると「考察」を始めます。
「生きる」とは、どういうことなのか?
 
私が今回たどり着いた答えは、「やりたいこと」を見つけるということ。
 
「やりたいこと」がない時は、「他律」の「人生」です。
「仕事」という「義務」のために「時間」を費やす。
「欲」という「自分でない他者(本能)からの誘惑」のために「時間」を費やす。
 
そうではなく、自分なりの「やりたいこと」を定めて、そのために「生きる」。
このように「自律」的に生きてこそ、本当に「生きて」いると言えると考えます。
 
「他律」と「自律」の違いは、以下の通りです。
「他律」→「世界」が「私」を動かす。
「自律」→「私」が「世界」を動かす。
 
ここでは「私」とは、「心」とか「意思」のレベルの、本質的な自分です。
一方、「体」や遺伝子がもたらす「欲望」は、「世界」側と捉えています。
純粋に私の「心」や「意思」が何を欲するのかが、重要な訳です。
「心」や「意思」に、何も「やりたいこと」を持たなければ、
それは「生きて」いるとは言えない。
自分では動けない、ただの「人形」です。
 
私は、「やりたいこと」はどんなものでも構わないと思います。
成功とか貢献とか恋愛とか、世間一般で価値があると言われているものでなくても。
 
私は、やはりブログを描き続けようと思います。
「生きる」ことに苦しんでいる人が私のブログを読んで、
少しでも何かの「気づき」を提供することができたなら・・・
 
そのために休日は自然の中を散歩して、
頭を遊ばせてブログのネタを考えましょうか。
そのために休日は公園や電車の中で本を読んで、
ブログで伝えたい大切なことを見つけましょうか。
 
きっとこの世界の「常識」が、人を生きづらくしています。
「やりたいこと」は大層なことでなくたって、全然構わない。
 
どんなちっぽけなことでも、
まずは「やりたいこと」を見つけることが大切なのだと思うのです。
 
「義務」でもなく、「欲」でもなく、
せっかくあなたがこの「世界」に生まれたからこそ「やりたいこと」を。