「マッチ売りの少女」の「怒り」

今年も早いもので、もうすぐ年末です。
年末というと、あなたは何を連想しますか?
 
私は「マッチ売りの少女」を連想します。
「えっ!」と思われるかもしれませんが、
実は「マッチ売りの少女」の舞台は大晦日なのです。
 
地域によっても差があると思いますが、
私の住んでいるところでは、吐く息が白くなるほど寒い日が続いています。
 
私は、「この寒さ」に「マッチ売りの少女」を想うのです。
 
さて、「マッチ売りの少女」を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、
粗筋をウィキペディアから引用しましょう。

年の瀬も押し迫った大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。
マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべて売り切るまでは家には帰れない。
しかし、人々は年の瀬の慌ただしさから、少女には目もくれずに通り過ぎていった。
夜も更け、少女は少しでも自分を暖めようとマッチに火を付けた。
マッチの炎と共に、
暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が
一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えた。

流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が
「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言った事を思いだした。
次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れた。
マッチの炎が消えると、
祖母も消えてしまうことを恐れた少女は慌てて持っていたマッチ全てに火を付けた。
祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。
しかし、人々は少女がマッチの火で祖母に会い、
天国へのぼったことなどは誰一人も知る事はなかった。

さてあなたは、「マッチ売りの少女」にどのような感想を持っているでしょうか?
 
とても可哀想なお話?
 
多分、多くの人にとって「マッチ売りの少女」は可哀想なお話というイメージだと思います。
私にとっても「マッチ売りの少女」は、後味の悪いとても可哀想なお話でした。
 
しかしある年末の寒い日に、駅で白い息を吐きながら人を待っているとき、
私は「マッチ売りの少女」のことを想っていました。
 
こんな寒さの中で、小さな女の子が寒そうな格好でマッチを売っている。
今の日本では、あり得ない光景です。
 
しかしそんな彼女を、人々は無視して通り過ぎていく・・・
 
マッチを売るには絶望的な状況なのに、すべて売り切るまでには家に帰れない彼女。
それは、父親にそう命じられているから。
 
作者のアンデルセンは、経済的に全く恵まれない少女時代を送った母親をモデルにして、
この作品を創ったといわれています。
アンデルセンは一体どんな想いで、「マッチ売りの少女」の描いたのでしょうか?
 
私は年末の寒い日に人を待ちながら、
この「マッチ売りの少女」の、
そして作者のアンデルセンの「怒り」の「火」を見つけました。
 
まずは父への「怒り」。
これは私の全くの想像ですが、
アンデルセンの父はとても理不尽な人だったのではないでしょうか。
一方「母」や「祖母」には、とても大切にされていた。
 
それから「目もくれず通り過ぎる人々」、すなわち「社会」への「怒り」。「世界」の理不尽さ。
「マッチ売りの少女」の話を通じて、
そんな人々にアンデルセンは語りかけようとしているように、私は感じます。
 
マッチの「火」は、そんな薄幸な少女の小さな「怒り」。
 
マッチの「火」と共に現れた、
暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影。
彼女の同い年の子は今この瞬間、優しい家族と上記の「幸せ」を満喫しているかもしれない。
はたして「マッチ売りの少女」に、
父への「怒り」の他に、「世の中」への「怒り」はなかったか?
 
あなたは「マッチ売りの少女」に、感情移入したことはありますか?
マッチを買わずに通り過ぎる人々のようにただただ「可哀想」と思うだけでなく、
彼女に感情移入したことはありますか?
 
きっと彼女には、「怒り」の「火」があった。
理不尽な父親へ。不公平な世界へ。
あなたは、そうは想いませんか?
実際彼女の身になったら、私は確実に父親や世の中を恨みます。
 
想像して下さい。
彼女はどんな想いで、
「火」の中に、暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーを
見ていたのでしょうか?
 
しかし「怒り」は、生きる原動力でもあります。
彼女は、その「怒り」の「火」のお陰で、しばらくは生きながらえることができたのです。
 
そして偶然現れた流れ星を見て、
彼女の想像は、「怒り」から「祖母」への想いに切り替わります。
「祖母」の出現により「怒り」の「火」は静かに消え、
彼女は「人」の「心」の「暖かさ」に目を向けるのです。
 
そうして最後に彼女は、「人」の「心」の「暖かさ」に包まれて亡くなります。
もし、七面鳥やクリスマスツリーの幻想を見ながら亡くなったとしたら、
微笑みながら亡くなることはできなかったかもしれません。
 
私は、年末の他にも「マッチ売りの少女」を連想することがあります。
それは、児童虐待による餓死や殺人事件のニュース。
先日聴いたニュースでは、3歳の男の子が育児放棄で餓死して亡くなったそうです。
胃の中に、タマネギの皮とアルミ箔が入っていたとのこと・・・
 
彼は、最後どんな想いで亡くなったのでしょうか?
自分の境遇を悲しみながら?
それとも、ママから一時でも受け取った愛情を思い出しながら?
 
世の中は、寒すぎます。
「怒り」の「火」でなく「人」の「心」の「暖かさ」で、
世の中を暖めていけたらなぁと、私は夢想するのです。
 
この「ブログ」が、世の中を暖める「マッチの火」になりますように・・・