「量質転化」の法則

自転車の練習を積み重ねると、自転車に乗れるようになる。
勉強時間を積み重ねると、あるものを習得・理解できるようになる。
一人では会社は成り立たなくても、人数が集まれば会社機能を有するようになる。
 
これらのように、量を積み重ねると質的な変化がもたらされることを、
「量質転化」と言います。
 
実はこれは、不思議な現象です。
石ころをいくら集めても、石ころは石ころですので、
量が質に転化するということは通常では起こり得ません。
 
しかし、「意味(情報)」を解する人間が媒介すると、
たくさんの積まれた石ころは、
「崩れそうで怖い」とか「壮大ですごいなぁ」という「意味(情報)」を
発信するようになるのです。
 
すなわち「量質転化」とは、
「物量」→「情報」への転化を指すのかなと個人的には考えています。
言い換えれば、「量」を重ねると「意味」が生じてくるのです。
 
この「量質転化」。
「生きる上での知恵」や「ビジネスのヒント」として、よく紹介されているようです。
 
例えば、たくさんの問題を解けば必ず学力が向上します。
「僕は偏差値が低くて頭が悪い」と自分を評価している人だって、
問題を解く量を増やせば増やすほど「頭がよくなる」という「量質転化」が発生する訳ですね。
 
だから量を積んで目標を達成しろというようなことが、
「生きる上での知恵」としてよく紹介されています。
 
またビジネスにおいても、利益達成のための試行錯誤の推奨や、
従業員の数を増やせば組織の機能が変容するというようなことが言われている訳です。
 
さて私は音痴でして、カラオケではいつも恥ずかしい思いをしています。
しかし、こんな私だって一人カラオケであり得ないほど練習すれば、
きっと音痴と言われないくらいには歌が上達するでしょう。
 
しかし、私はそこまでしてカラオケを上達しようとは思いません。
人にはそれぞれ生まれ持った環境や資質に応じて、
量を積むべき対象が縁として決まっているようです。
私はもっと違うことに、量を積んでいます。
 
一つは、日々繰り返している仕事です。
「量質転化」の観点で言えば、
仕事の積み重ねは、自分に質的変化を起こします。
すなわち、それが「成長」ということですね。
長年仕事を繰り返し、仕事は給与のためではなく、自身の「成長」のためであると、
私は今感じています。
そう考えると、仕事を遂行すること自体に意味を見出すことができ、
仕事本体が、給与との交換条件というマイナス価値から、
「成長」の源泉そのものであるというプラス価値に転じる訳です。
 
私は仕事の他にもう一つ、繰り返していることがあります。
それが、このブログです。
このブログ記事は、今回で544回目のブログ記事になりますが、
続けていると明らかに「意味」が生じてきています。
 
例えば描くという行為の積み重ねで、私の「価値観」は変容してきました。
「価値観」の変容は、すなわち私の「質」の変容です。
ネタを企画して描いて読んで検証してまた企画して。
私は「PDCA(プラン・ドゥ・チェック・アクション)」を繰り返してきました。
また多くの方からフィードバックのコメントを頂き、それも重要な気づきになった訳です。
 
もし私がブログを描いていなくて、
頭の中だけで「人生ってなんだろう?」「幸せってなんだろう?」って考えているだけだったら、
私の「質」はここまで変わってなかっただろうなと想います。
 
「人生」においては、「量」より「質」の方が重要です。
例えば「私は坂本龍馬と物質的に同じ人間なんだぞ」と胸を張っても、
それは何の自慢にもなりません。
人の「本質」は「質」の方にある訳ですね。
 
そう考えると「量質転化」は、「人生」において大切な法則だと私は考えます。
毎日毎日同じ繰り返しのように見える「人生」ですが、
「量」を積むことで確実に「質」が変容する訳ですから。
 
ですから決して日々の繰り返しに絶望しないで下さい。
繰り返しにこそ、希望があるのです。
 
また、好きなことは何回も繰り返して「人生」のルーティンワークにしてしまいましょう。
その繰り返しが、あなたをよりあなたらしく変容させていきます。
そうして、あなただけにしか出せない「価値」がこの「世界」に花開くのです。