「技」化

最近、武道と哲学の接点ということを考えています。
きっかけは、最近コメントのやり取りをさせて頂いている自由びとさんが、
空手を学び初め、そして南郷継正という師範に出会い、
今は哲学を探究されているということを知ったことです。
 
私は、武道というものは、
小学生の時に少年剣道をやっていたのみで、
全くと言っていいほど関わりがありません。
ですので、これから描く内容は想像を踏まえた「考察」です。
 
私は武道を、とても頭を使う知的な取り組みだと認識しています。
なぜなら、武道は「勝つか負けるか」という極めて現実的な結果を求める試みだからです。
 
これは国家や企業が勝ち残ることをテーマとした経済学とか経営学
同様のジャンルに入ると考えます。
そして経済学や経営学、武道に共通することは、
人同士の勝ち負けを学問の目的に据えていることです。
経済学では、人の集まりである国家が他国に打ち克つために。
経営学では、人の集まりである企業が他企業に打ち克つために。
武道では、人である対戦相手に打ち克つために。
 
統計的集団や組織を扱う経済学・経営学と比較して、
武道は、シンプルにダイレクトに個人を研究対象とします。
相手に打ち克つためには、対戦相手である人を研究して、
どのように相手に効果的な打撃を加えるか、どのように相手の攻撃を受けるか、
「考察」しなければなりません。
併せて、自分の「心」と「体」をうまくコントロールできるように、
自分自身も「考察」の対象にする必要があります。
 
このように自分自身と対戦相手という「人」について「考察」の焦点があるので、
武道と哲学はとても親和性が高いと考えられる訳です。
 
ところで武道には「技」というものがあります。
「技」は、歴代の武道家が対戦相手を打ち負かすために考えた「一定の型」です。
武道を学ぶ人達は、「技」の訓練を行い、
「技」を無意識に繰り出せるようになることを目指します。
 
武道に限らず、人の「生き方」にも、この「技」に相当するものがあるのではないか?
私は今回の「考察」を進めて、そう考えるようになりました。
 
すなわち「幸せ」に「生きる」ために、
身につけると効果のある「行動パターン」というものが存在するはずなのです。
新たな年は、そういった「人生」の「技」を模索して提示していきたいなと思います。
 
武道とは、勝ち負けという「結果」を出すことが全ての、
非常にシビアな「知恵」の探求道です。
私のブログにおいても、机上の空論でなく、
極めて実践的な「幸せ」という「結果」を生み出す「知恵」を模索していこうと想います。
 
きっとあるはずです。
武道の「技」のように比較的汎用的に人々が扱える、
「幸せ」に「生きる」ための「技」というものが。