「意識(命)」の還るところ

「人格」もしくは「魂」とは、液体のようなものである。
私はそう考えています。
 
単なる直感とかそういうものではなく、
様々な文献を読んだ上での私なりの科学的な「考察」です。
 
詳しくは過去ブログ(「意識」を2で割ると?「意識」を2で掛けると?)に記載していますが、
「分離脳」という現象から、
「意識」を2で割ると、2つの「意識」が発生することが観察できます。
 
「分離脳」とは、右脳と左脳を手術により分離された状態です。
今はこのような非人道的な手術は行われませんが、
かつて、てんかんの治療として、
右脳と左脳を結ぶ脳梁と呼ばれる部位を切断する手術がありました。
 
この「分離脳」となった方々には、一般の方々とは異なる特徴があったのです。
「分離脳」の人の左の耳にだけ「ジュースを買ってきて下さい」と伝えたとします。
で、その人はジュースを買いに行くのですが、
ジュースを買ってきてもらった後に、
今度は右の耳にだけ「なんでジュースを買ってきたのですか?」と質問をします。
すると、「喉が渇いたから」という動機を作って回答するのだそうです。
すなわち、左の耳とつながっている右脳は、
「頼まれたからジュースを買いに行った」という意思を持っていたのに対し、
後から「なぜ買ってきたのですか?」と質問された左脳の方は、
実際に行った行動につじつまを合わせるため、偽の動機の作ってしまった訳です。
しかも左脳は、それが本当の動機だったとリアルに認識しています。
 
自分の行動の動機をバラバラに認識する左脳と右脳。
これはもはや、左脳と右脳は別々の意識を持っていると言っても過言ではありません。 
すなわち、「意識」は2つに区分すると、それぞれに「意識」が宿ることになる訳です。
ですので、「意識」を2で割ると、2つの「意識」ができあがるということになります。
(参考文献:「0と1から意識は生まれるか(橋本淳一郎、早川書房)」)
 
この考え方でいけば、「多重人格者」の説明も容易にできる訳です。
 
では、ここから更に「考察」を進めます。
「分離脳」には、別々の2つの「意識」が同居していますが、
仮にこの「分離脳」の状態から、
右脳と左脳を再接続してつなぎ合わせたらどうなるでしょうか?
 
そう。1つの「意識」に戻ります。
 
ですから、「意識」×2=「意識」ということになるのです。
上記の式から、
よくSFに出てくるような「人の脳同士をインターネット等で接続するとどうなるか?」という
疑問への回答が導き出されます。
 
単純に考えると、その答えは、
言葉を介さずにつながった者同士テレパシーで会話ができるのかなぐらいのイメージですよね。
しかし実は、2つの私という「意識」が接続されると、
1つの統合された私という「意識」が現れます。
これが、「意識」×2=「意識」の意味なのです。
 
このように「意識」を眺めると、「意識」のイメージをつかむことができます。
コンピュータのハードディスクの「Cドライブ」や「Dドライブ」のように、
1つの資源をパーテーションで区切った領域に過ぎないのです。
 
コンピュータのハードディスクは、
「Cドライブ」「Dドライブ」「Eドライブ」と、任意にいくつでも区分できます。
多重人格者は、外部の過酷な環境に適応するために、
区分するパーテーションをたくさん作ってしまった状況なのでしょうね。
 
また、コンピュータの世界には「分散コンピューティング」という概念があります。
ウィキペディアによりますと、
「分散コンピューティング」とは、情報処理手法の一種であり、
プログラムの個々の部分が同時並行的に複数のコンピュータ上で実行され、
それらがネットワークを介して互いに通信しあう形態です。
複雑な計算などをネットワークを介して複数のコンピュータを利用して行うことで、
一台のコンピュータで計算するよりも効率を上げようとする仕組です。
実際に、多数のコンピュータをネットで接続して大規模な計算を行った、
癌治療薬開発のためのUnited Devices Cancer Research Projectという事例があります。
 
すなわち、これを「意識」に置き換えて考えれば、
複数の「意識(脳)」をつなぐことで、
一つの統合されたパワフルな「意識」が生まれるのではないか?というのが私の持論です。
 
さて「意識」の特徴をコンピュータの処理領域で説明しましたが、
他のものにも例えることができます。
それは、「液体」です。
 
想像してみて下さい。
2つのコップの中の「水」を、一つのバケツに入れたらどうなりますか?
そこに現れるのは、バケツの中の一つの「水」ですよね。
 
更にそのバケツの「水」を、再度2つのコップに注ぎ直したとしましょう。
その場合、「水」は2つに戻るのです。
 
結果として、「水」を2で掛けても「水」だし、2で割っても「水」になります。
「水」は、「意識」と同じ性質を持っている訳です。
 
さて、「意識」を「水」に例えて、もう少しイメージを進めましょう。
自然界において、「水」は雨として提供される訳です。
雨は水たまりとなり、川へと流れて、そして海に戻っていきます。
 
「意識」が「水」と同じ性質を持つことを前提とした場合、
自然界における「意識」も似たような振る舞いが可能です。
すなわち、どこかから降ってきた「意識(命)」は、遺伝子という器にたまります。
これが、生命の誕生です。
しかし、生命が死亡したとき、その遺伝子の器は壊れ、
「意識(命)」は川へと流れて行ってしまいます。
これが、生命の死です。
そして、最後に「意識(命)」は、海に辿りつきます。
海は、全ての「水」の源。
個々の「意識(命)」も、そのような源に帰還する訳です。
 
そして、海から雲が発生し雨となるように、
「意識(命)」もいつしか、再度遺伝子の器に満たされるのです。
 
以上「分離脳」という実際的な現象から、「意識(命)」の大きな流れを推察してみました。
どうでしょう?
単なる直感レベルの話ではないので、少しは信憑性を感じませんか?