鏡よ鏡よ鏡さん、この「苦しみ」を乗り越える方法を教えておくれ

今日からのシリーズテーマは、「苦しみ」や「困難」の乗り越え方です。
自分なりに「考察」してみました。
このテーマは本ブログにおける重要テーマであり、
常に進化し続けるコンテンツです。
 
従って今回お話しする内容は、現段階のものとご認識下さい。
 
さて、「苦しみ」や「困難」の乗り越え方。
いくつかの候補があります。
まず今日は、その1つ目です。
 
Ⅰ.書き出して解決策を探る
 
「心」の中を書き出すということは、自分の中身を鏡に映すということです。
自分の顔を頭の中でイメージすることはいくらでもできますが、
それはあくまでイメージに過ぎません。
客観的な現時点の顔は、鏡を使わないと確認できないのです。
同様に自分の「心」のこともわかっているつもりでいると思いますが、
実際に鏡に映してみないと、「今の私」を客観的に見ることはできません。
「今の私」が、どう苦しんでいるのか?、どう困っているのか?
これを見ないことには、解決策はいつものマンネリパターンに陥り、
いつものように苦しみ続けることになってしまうのです。
 
さて人の「心」には、「志向性」という性質があります。
これは、オーストリアの心理学者フランツ・ブレンターノが提唱したものです。
(志向性のウィキペディアは、こちら
(フランツ・ブレンターノのウィキペディアは、こちら
「志向性」を簡単に説明すると、
あらゆる「心」の動きには必ず「対象」が存在するということです。
愛しているときには愛している「対象」の存在が、
嫌悪しているときには嫌悪している「対象」の存在が、
欲望しているときには欲望している「対象」の存在が。
逆に言えば、「対象」がなければ「心」は動けない訳です。
 
そう考えると、
仏教の悟りにおいて「無」になるということが本当に難しいとわかります。
 
「思考」には、必ず「対象」がつきもの。
だからこそ、「対象」をシャープに見える化することに意味があるのです。
 
「鏡」を見ずに化粧をするのと、「鏡」を見て化粧をするのと、
どちらが的確に化粧の目的を達成できますか?
 
また、頭の中をアウトプットするという行為も重要です。
「ものを習得するためには誰かに教えるとよい」とよく言われます。
これは、誰かにアウトプットしようとすると、
理解していたつもりの頭がもう一度「対象」の「本質」を把握しようと動くからです。
そう。「心」の中の痛みやモヤモヤを文面に書き出すだけで、
その問題の「本質」が驚くほど見えてくるのです。
 
そして書いた「鏡」に向かって、達成したい理想の状態も書き込みましょう。
それから、「心」の中と理想の状態を見比べて、
ギャップを埋めるにはどうしたらよいか、自分なりにじっくり検討するのです。
 
また、この書き出した「鏡」を他者に見せて相談することもよいと思います。
ここまで、客観的に整理された内容であれば、
相談に乗ってもらう人の時間も節約できるし、
なにより相談する側の「感情」フィルターがある程度外れているので、
的確な返答ももらいやすくなる訳です。
 
そうやって「鏡」に写すと、意外に問題がシンプルであることに気づきます。
「ああ、ここをこうすればいいんだ」
 
 
 鏡よ鏡よ鏡さん、理想の私になる方法を教えておくれ