「偽善」への挑戦状

さて、突然の質問です。
あなたは、どちらからより多く「快」を得ますか?
 
(1)気に入らない相手をぶちのめす
   そして、ぶちのめされた人の顔を見る
   ぶちのめされた人の顔は「苦し」そうだ
 
(2)困っている人を助ける
   そして、助かった人の顔を見る
   助けられた人の顔は「ホッ」としている
 
両方から「快」を得るというのが、私の正直な回答です。
言っておきますが、(1)の「快」は全く異端ではありませんよ?
 
(1)は、幼児からご高齢の方まで幅広く支持されている「快」のコンテンツです。
そのコンテンツはよく、テレビから流れてきます。
 
例えば、戦隊モノの幼児番組、半沢直樹水戸黄門
悪徳政治家を糾弾するニュース番組、セレブな芸能人の不幸を流すゴシップ番組。
以前テレビを観ていて唖然としたのは、
一人息子を亡くした女性芸能人の情報を延々と流していたこと。
訃報という体でその方の半生も含めて事細かに放送していました。
「放っといてやれよ!」と想う次第です。
 
話が脱線しました。「気に入らない相手をぶちのめす」方に、話を戻します。
「悪い」ヤツが苦しむと「快」になるというコンテンツは、
「勧善懲悪」と呼ばれるものです。
古くは「八岐大蛇(やまたのおろち)」のお話や、「忠臣蔵」のお話も。
一説によると「吉良上野介」は、
その政治能力や人柄から「名君」と呼ばれるに相応しい人物のようです。
詳しくは、吉良上野介(本名:吉良義央)のウィキペディアをご覧下さい。
 
以下は、ウィキペディアからの引用です。

忠臣蔵の「悪役」として有名な義央の評価は芳しくない。

一方、領地三河国幡豆郡では、

貞享3年(1686年)に築いた黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする

新田開拓や人柄から「名君」とされ、地元では慕われている。

吉良町には赤馬という郷土玩具が存在するが、

これは義央が黄金堤を築いた際に当地を訪れ、

赤馬に乗って作業を視察したことに関係する玩具である。

黄金堤の名称は築堤によって水害を終息させ農業生産の安定に寄与した義央の遺徳を偲んで

後代になり称されることになったものであり、

同様に赤馬の玩具も築堤作業を視察する義央が騎乗した赤い馬を称えるため、

天保年間になり作成が始まったものである。
  「勧善懲悪」の「快」の「正体」は、 哲学者ニーチェによれば「ルサンチマン」ということになります。 簡単に言うと「ルサンチマン」とは、強者への怨嗟です。 私も含めて多くの人々は、 強者への劣等感を解消するために、善人ぶって対象者を批判することを好みます。 (ルサンチマンについて詳しくは、過去ブログ「ルサンチマンに抱擁を」をご覧下さい。)   まあ、この「ルサンチマン」なり「勧善懲悪」は、いわゆる「偽善」ですね。 「偽善」だから「悪」という訳ではありませんが、 「それが人間の傾向だ」と「心」に留め置く必要はあると思います。   「ルサンチマン」を認識しておけば、 「ルサンチマン」の刃を向けられたときにできる「心」の傷は浅くなるはずです。   また「ルサンチマン」という蛇の甘言に乗って、 自身が人を傷つけることもなくなります。   傷つけられることも傷つけることも、それはとても「不幸」なことなのです。   さて、話が長くなりました。 冒頭の質問の選択肢(2)の方に目を移したいと思います。   (2)困っている人を助ける    そして、助かった人の顔を見る    助けられた人の顔は「ホッ」としている   これも「善」だと、私は思います。 そして、「ルサンチマン」や「勧善懲悪」よりも人を「幸せ」にする「善」です。   何故なら、それは「Win-Win」の関係だから。 助けられた人も「幸せ」になるし、 助けた人も助かった人の「ホッ」とした顔を見て「幸せ」になれるなら、 それは「better」な「善」だと考えます。 更には、「Win-Win」の調和がとれた「more beautiful」な「善」だと考える次第です。   私は、「善」については、完全な「善」は存在しないと考えています。 (この件について詳しくは、過去ブログ「ルサンチマンと真善美」をご覧下さい)   完全な「善」という妄想を信じると、「戦争」や「宗教テロ」が始まります。 ですから私は、「善」の善し悪しを判断するためには、 個々人の「美」の「モノサシ」に依存するしかないと思います。 あくまで個人の「モノサシ」ですから、 磨いていかないと誤った判断を誘発してしまうでしょう。   そうした私の個人の「美のモノサシ」で判断するに、 私は(1)よりも、(2)の方が「美しい」と感じます。 そして有り難いことに、 私の「心」が「美しい」と判断する(2)の行為から、 現在の私は、より深い「快」を得ることができるようです。