【問答童話】王様とテロリスト

<問いかけ>
 あなたは以下の童話に登場する2人の人物のうち、
 どちらの言い分の肩を持ちたいですか?
 
それでは、はじまりはじまり〜

<問答童話>
 ある国に捕らえられて死刑を待つテロリストがいました。
 その国の王様はテロリストと一度話をしたいと感じ、
 部下に命じてテロリストを自分の前に連れてこさせました。
 
  王 様 :おまえの犯した罪は大きい。
       この国家が万が一転覆したら、
       隣国にあっという間に侵略されて、国民は地獄の苦しみを味わうのだぞ?
       よっておまえは、国家反逆罪で死刑だ。
 
 テロリスト:お言葉ですが、王様。
       私の呼びかけに賛同した国民はたくさんおります。
       皆捕らえられて、死刑になってしまいましたが。
       私どもの呼びかけについて、王様はどのようにお考えですか?
 
  王 様 :うむ、そなたらの動機のことは聞いておるぞ。
       国民は全て60歳になったら自殺をしろという法律のことじゃな?
       確かに不憫にも感じるが、致し方あるまい。
       そうしないと国体を維持できんのじゃ。
       国家のために労働ができない者を養う余裕は、この国にはない。
       それほど、隣国の驚異は大きいのだぞ?
 
 テロリスト:しかし、王様だけは60歳を越えても生きていらっしゃる。
       これは、大変不公平なことではありませんか?
 
  王 様 :そちの言い分もわかるが、
       私がいなくなったら私を引き継げる者がこの国家にはいないのじゃ。
       これは私個人のエゴではないぞ。
       私は、真剣にこの国家を隣国から護ろうとしているのじゃぞ?
 
  
<問いかけ>
 王様とテロリストのうち、あなたはどちらの言い分の肩を持ちたいですか?
 
 
<作者の種明かし>
 テロリストは、癌細胞の擬人化です。
 王様は、脳細胞等の神経細胞や心筋の細胞を表しています。
 そして国民は、王様以外の細胞達です。
 
人間などの多くの多細胞生物の細胞には決められた寿命があります。
死ぬ時期が来たら、これらの細胞は自動的に自殺を始めるのです。
この非情なルールは、生物個体をよりよい状態に保つために、
既に細胞が生まれたときから決められています。
学術的には、アポトーシスと呼ばれる現象です。
ウィキペディアは、こちら
このアポトーシスのルールから逸脱した細胞が癌細胞であり、
癌細胞は秩序なく無限に増殖して、個体に激しい痛みを与えた上、個体に死をもたらすのです。
一方ルールにのっとった細胞達は、決まった寿命で自殺していきます。
一番短いもので、胃や腸の表面を覆っている消化管上皮細胞の24時間。
赤血球で3週間。
脳細胞や心臓の筋肉の細胞は、一生ものです。
脳細胞や心筋の細胞は分裂して増えることをしないので、特に決められた寿命はありません。
想像して下さい。
心臓の細胞が死んじゃったらヤバイと思いませんか?
だから、心臓の細胞は私達の人生と共に、長く生き続けて頑張っているのです。
 
ちなみに、上記童話のように一般国民の癌細胞化によりテロが起こったら、
ナチュラル・キラー(NK)細胞等の免疫細胞が、
がん細胞を一つずつ体当たりで攻撃します。
(引用元:がん攻撃の主役を担う"NK細胞"「日経BP社」)
 
<再び問いかけ>
 あなたは、王様とテロリストのうち、どちらの言い分の肩を持ちたいですか?
 
 
<作者の考え>
 もちろん、王様の言い分の方が圧倒的に正しいと思います。
 なにしろ、テロリストは癌細胞な訳ですし。
 国家(私達の生命)を護ることが、この国民の最優先の課題でしょう。
 国民よ、国家のために死んでくれてありがとう、とは想います。
 
<作者の更なる考え>
 もちろん、これらのルールは、細胞を擬人化した話だから成立するのですが、
 本当にこんな国家があったら、テロリストの言い分を「もっとも」と感じますよね?
 なにしろ私達国民には、
 細胞と違って「選択の意思」や「意志」や「感情」があるのですから。
 60歳になったら自殺しろなんて、
 そんな法律を作ったらどんな国にだって暴動が発生すると思います。
 「全体」だけでなく「個」の「幸せ」も、とても大切ですから。
 さて、ほ乳類や鳥類のような「生命」は、単細胞生物からどんどん進化して、
 「意思」や「意志」「感情」を持つにまで至りました。
 こういった進化を進めた「生命」に対して、
 それまで秩序を保っていた「古くさいルール」をそのまま適用すると、
 弊害が生じ始めるのです。
 例えば「弱肉強食」は、「生命」全体の秩序を護るために大変優れたルールです。
 しかし「感情」や他者への「愛」を持ってしまった私達「生命」は、
 このルールによって「不幸」になってしまっています。
 
 他の「生命」に「食べられること」は、嫌ですよね?
 「弱者」が奴隷になることは、当然のことだと思いますか?
 「強者」が理不尽な独裁をひくことを、仕方ないと思いますか?
 
 イヤだ!
 
これが、私達人間の「答え」です。
 
私達人間は、自分や愛する者が食べられないように、知恵や技術を発展させてきました。
私達人間は、奴隷制を廃止したことを素晴らしい進歩だと思っているのです。
私達人間は、「強者」による理不尽な独裁を避けるために民主主義を推進しています。
 
いにしえのルール、「全体のために個が犠牲になる」「弱肉強食」。
これらは、現在もこれからも私達「生命」を護ってくれる力強いルールです。
 
しかし「感情」や「愛」を持ってしまった「生命」には、
「追加ルール」の「創造」が急がれます。
なぜなら「感情」や「愛」を持ってしまった「生命」は、
「弱肉強食」や「個」が犠牲になることに、「涙」を流すようになってしまったから。
 
「幸せ」は、
「いにしえのルール」によってもたらされる「痛み」をどうしたらよいのか?という、
人間の真摯な「願い」から生まれた概念です。
昔の人々は「宗教」を、「幸せ」を生むための「追加ルール」として創り出しました。
そして現在は、「科学」という体系を使って「幸せ」を追求しているのです。
 
そして私は、「哲学」をします。
何かよい「追加ルール」がないか、日々模索しているのです。