600日目のブログ

このブログが、通算600日目のブログとなります。
本日の描きたい内容は、人間関係について現時点の私自身の考察です。
 
ところで、私の実家は埼玉にあります。
駅から20分ほど歩く、ちょっとした郊外です。
実家には小さな庭があって、小鳥に餌付けをしています。
 
たくさんの鳥を集めたいと餌やりを続けており、
だんだんと飛来する小鳥の種類が増えてきた次第です。
スズメ、キジバトヒヨドリメジロアカハラ
 
ところで、複数種類の鳥が集まると、縄張り争いが始まります。
例えばヒヨドリは、スズメが庭に飛来すると執拗に追い回し追い払うのです。
 
しかし、スズメとヒヨドリの餌は異なります。
スズメやキジバトは、市販の小鳥用のアワ等の種子。
ヒヨドリメジロは、普段花の蜜を吸ったりする鳥ですので、ミカンやキンカン等の果実。
 
ですからヒヨドリは、本当はスズメを追い払う必要はないのです。
しかし、本能がそうさせるのだと思います。
争う必要は全くないのに、ヒヨドリはスズメを攻撃し、
スズメはヒヨドリに襲われて逃げなくてはならない訳です。
 
これは、仕方のないことだと思います。
生命たちが繰り広げてきた長い長い弱肉強食の歴史の中で、
「争い」はDNAに刷り込まれているのでしょう。
 
この「争い」の遺伝子は、私たち人間にもしっかり刷り込まれています。
戦争のような大きな話だけでなく、私たち個人の日常にも。
 
昨日のブログに書きましたが、
私たち人間は他者への「優越感」に「快」を感じます。
それはもう、麻薬のように強烈に。
 
その事前にプログラムされた本能で、私たちはしなくてもいい争いをします。
また、あったって何の意味のない「優越感」を、必死に他者を見下して得ようとするのです。
そして見下された他者は、本能のプログラムに従って「劣等感」を感じ、悲しくなります。
 
この仕組まれた罠が、人間関係の根底に大きく横たわっているのです。
 
よく考えてください。
 
他者に「優越感」を感じたところで、何かいいことがありますか?
逆に、他者を怒らせたり嫌われたりするのがオチですよね?
得られるのは、脳が提供してくれる「快」だけだと思われます。
 
もし「優越感」の麻薬から解放されたら、私たち人間は生きることが「楽」になるはず。
私たちは、「本能」に操られていることを知る必要があります。
 
「優越感」から解放されるには、どうしたらいいのでしょうか?
それには、他者と自分を比較することをやめましょう。
簡単に言えば、他者を評価しないということです。
 
評価の目は、他者でなく自分に向けましょう。
 
この世界で「幸せ」になるためには、
自分が成長したり気づいたりする必要があると、私は考えるのです。
 
だから、自分への評価はやった方がいいと思います。
ただその評価というのも、誰かと比較してということではなく、
「ウサギとカメ」の童話のカメのように、
あくまでゴールをじっと見つめて、自分がどれだけ歩いてきたか?
自分がちゃんとゴールに向かっているのか?
 
ウサギのように、誰かよりも速く進んでいるかどうか知ったところで、
自分の歩みが進む訳ではないのです。
逆に、ウサギのように油断して眠りこけるリスクすらあります。
 
 「人生」は、「競争」ではなく、「旅」なのです。
 
うちの実家に来たヒヨドリが本能に操られて、
無駄に体力を削ってストレスを感じながら、スズメを追い払います。
人間がその風景を見たら、
「餌が違うんだから、そんなことする必要ないんだよ」って誰もが思うでしょう。
 
同じように、人間が「優越感」を求めて、無駄な争いを繰り広げている風景を、
人間よりも進んだ宇宙人が眺めたら、
「優越感でゴールに近づく訳ではないんだから、そんなことをする必要がないんだよ」って、
思うかもしれませんよね。