「対人関係」を、「天動説」から「地動説」に切り替えよう

さて突然ですが、あなたに2つの質問をします。
 
(1)地球と太陽の関係
   あなたは、以下のどちらが正しいと思いますか?
   (a)太陽が地球の周りを回っている
   (b)地球が太陽の周りを回っている
 
(2)上記選択の根拠
   なぜ、あなたは上記の選択をしたのですか?
   根拠を教えてください。
 
質問に答えて頂けましたか?
これは、「それでも地球は動いている」という言葉で有名なガリレオ・ガリレイ
「天動説」と「地動説」に関する質問です。
 
それぞれの質問について、見ていきましょう。
 
(1)「天動説」と「地動説」の、どちらが正しいか?
 もちろん多くの方が、「地動説」を選んだことでしょう。
 学校で習いましたからね。それとも、親から学びましたか?
 ナチュラルに「天動説」と答える人は、
 まだ「地動説」のことを学んでいない子どもか、
 もしくは相当に哲学的なセンスのある方です。
 
(2)さて「地動説」の根拠を挙げてください。
 学校で習ったとか、誰かから教わったというのは、根拠にはなりません。
 見た目にはどう考えても、太陽が地球を回っていますよ?
 日が昇るとか、日が沈むとか、あなたもそういう言い方をするでしょう?
 さあ「地動説」の根拠を挙げてください。
 もし根拠を言えないのに、「地動説」を信じているのなら、
 あなたは、風説に惑わされるリスクが、自分にあることを自覚しなければいけません。
 もしあなたが中世のイタリアにいたとしたら、
 当時の教会の意見に同調して
 「地動説」という珍妙な説を唱えるガリレオ・ガリレイを糾弾していたことでしょう。
 
さて以下に、私の回答を描きます。
(1)「天動説」と「地動説」の、どちらが正しいか?
  もちろん「地動説」です。
  地球が太陽の周りを回っています。
(2)「地動説」の根拠
  「地動説」の方が、「惑星」の動きをシンプルにすっきり説明できるからです。
  地球から観測した「惑星」は、とてもトリッキーな動きをします。
  だから「惑わす星」と書くのです。
  なぜトリッキーな動きをしているのかと言うと、
  例えば、地球と火星の関係を考えてみてください。
  地球も火星も太陽の周りを公転しているので、
  地球から見た火星には、地球の自転による回転以外の動きの要素が加わります。
  「天動説」では、この不可解な動きを説明できないのです。
  「地動説」の「地球も火星も太陽の周りを回っている」という解釈で、
  ようやくシンプルにすっきり説明できるようになります。
 
・・・いかがでしたでしょうか。
当たり前に信じていた「地動説」について、ちゃんと頭の中で納得できましたか?
この話のように、
ちゃんと頭の中で理解していないのに
それが正しいと信じ込んでいる話が結構あるものです。
私たちは、それを「常識」と呼んでいます。
 
さて私は今回の事例から、2つのことを提唱したいと思います。
(1)「科学万能教」にご用心
   信じている宗教はありますか?と聞かれたときに、
   日本人の場合、「無宗教です」と答える人が多いでしょう。
   しかし上記の思考実験でわかるとおり、
   「地動説」を根拠なしに信じている人は
   「科学万能教」に入信している可能性があります。
   「科学万能教」の教えは、「死んだら無になる」「魂なんて存在しない」です。
   また、「心」の動きは全て物質的な反応として説明できるというものもあります。
   しかし私は結構な科学書を読み漁りましたが、
   「死後、この意識はどうなるか?」とか
   「今ここにいるというこの心の感覚がどこから来るのか」という疑問に対して、
   実証された理論はありませんでした。
   それどころか、最先端物理学の量子力学では、
   「観測」という意識の存在が、物質に及ぼす影響があることが議論されています。
   疑うことや、ちゃんと自分の頭で理解しようとする姿勢は、
   生きる上でとても大切なことです。
   世界を観る窓のガラスに色を付けず、きちんと無色透明に保ちましょう。
(2)「対人関係」を、「天動説」から「地動説」に変革しましょう
   昔の人々が「天動説」を信じていたのは、至極真っ当なことです。
   だって、そう見えるんですから。
   人は、まず自分を中心に考えるもの。
   これは「対人関係」についても同様です。
   先ほど言及した「惑星」の例のように、
   「対人関係」を自分中心に理解しようとすると、とても複雑で理解できません。
   そうではなく、自分も相手も、
   「何か」を中心に回っている同等の存在だと考えるのです。
   そうすると、その「中心の何か」をまずは解明しようと「意識」が行き、
   「対人関係」をシンプルにすっきり理解できるようになります。
   そして「対人関係」は、人間の「幸せ」を形成する最も大きい要素なのです。
   もしあなたが「対人関係」に悩んで「不幸」だったら、
   その「相手」や「対人関係」に対して近視眼的にならず、
   「人生とは?」とか「幸せとは?」とか、もっと大きなスケールで悩みましょう。
   私がこのブログで日々考察していることも、そういったことなのです。
 
さて「対人関係」を、「天動説」から「地動説」に変革した時に現れる「中心の何か」。
この探求を、外部に委ねてはいけません。
外部に委ねた時点で、「地動説」を鵜呑みにしている状態になってしまうからです。
鵜呑みからは、何も生み出されません。
 
ちゃんとあなたの「心」で気づいたり理解できるように、
日々意識し続けるしかないのです。
 
そして「中心の何か」に気づけたら、
「常識」に囚われて苦しんでいる人たちに、こう言ってあげましょう。
 
「それでも、私たちはこれを中心に動いているんだよ」