「流水」は、腐らず

あなたに質問です。

「世界」で「正しい」ものは、何ですか?
挙げられるだけ、挙げなさい。

 
もし「世界」の全てが、「正しくない」としたら、
私達は何を信じて生きていけばよいのか、わからなくなります。
「正しい」と信じるものを持たなければ、
悩みや葛藤に直面したとき、
私達はそこから脱することができないと考える次第です。
 
だから「宗教」は、「正しい」を提供してくれます。
(それが本当に「正しい」かどうかは、別にして・・・)
 
私の中で、「宗教」と「他の論」の違いは、
「正しい」の押しつけが、あるかないかです。
 
私のこのブログはどうかと言うと、
「宗教」になってはならないと、考えています。
そもそも「宗教」になってしまっては、人を呼べないです。
「正しい」を押しつけるということは、
読み手や相手を下に見るということになります。
 
私が目指しているのは、「提案」や「気づきのヒント」です。
そういった「投げかけ」を通じて、
読んでいる人の「悩み」や「苦しみ」を少しでも解消したい、
読んでいる人の「幸せ」に少しでも貢献したいと願っています。
 
イメージは、駅前でギターを奏でる若者です。
彼らの唄は、家に帰る疲れたサラリーマンの心を癒してくれます。
自分の「世界」で起きた辛いことや悲しいことを、一瞬忘れさせてくれるのです。
 
私も、そんな「小説」を描けたら、最高だなぁと思います。
文章もいいですが、人の「心」に届かせるには、やはり「小説」です。
読んだ人が「幸せ」になる「優しい小説」というジャンルを
いつか確立したいなと想っています。
私には「やりたいこと」がたくさんあるのです。
 
さて、「正しい」の話に戻します。
私の想いは、「正しい」の押しつけをしたくないということです。
しかし自身の論を通じて、読み手に「提案」や「投げかけ」を行う以上、
「正しくあろう」としなければ、意味がありません。
ですから、先日のブログ「科学は争いをなくす」にも描きましたが、
「科学」という「正しい」ことがプロセス的に確認された「論」は、
積極的に援用したり使っていこうと考えている次第です。
 
ということで、冒頭の質問に対する私の答えの一つは「科学」となります。
「科学」は正しいです。
 
他に「正しい」ものは何かと言うと、私は「考察する姿勢」を挙げたいと想います。
「考察した結果」でなく、「考察する姿勢」です。
「考察する姿勢」から連想される言葉は、「柔軟」「継続」「進化」。
「考察した結果」から連想される言葉は、「頑固」「停止」「沈滞」。
 
私の今の論は、
「本能・欲望(Gene)」「心・自我(Self)」「外部情報・価値観(Meme)」の
3者を使った人間解釈です。
(詳しくは、過去ブログ「現時点の幸せの定義」をどうぞ)
 
しかし、過去には違う論を展開しています。
ライフ・マトリクス
意識(命)の還るところ
他にもいくつかありますが、こういった過去の考察や論は昇華され、
現在の「3者理論」に統合されている次第です。
 
「流れる水は腐らず」ということわざがあります。
「絶えず動いているものは、状態が悪くなることはない」という意味です。
 
私のブログも「流れる水」でありたいと願っています。
そして、私自身の「生き方」も。
 
常に「考察」すること。
すなわち「成長」こそが、もう一つの私の「正しい」と考える答えです。
 
という訳でこのブログでは、
「科学」と私自身の「成長」の2つに「正しい」の根拠を定め、
皆さんに「幸せ」への気づきとなる「論」を提案していきたいと考えています。
 
決して、「自分が正しい」という「淀み」に囚われることなく、
常に「幸せ」を発信したいという「想い」の水源地から、
あくまで「流水」としてこのブログを描き続けていく所存です。