有限の「愛」を、無限にする方法

今日も、この言葉から始まります。
 
「愛の反対は無関心」
 
「愛の反対」=「無関心」であるならば、
「愛」=「関心」です。
 
人や生命や事物に「関心」を持つことこそが、
それを「愛」するということなのだと、考えます。
 
しかるに「愛」が「関心」であるならば、
一人の人が発する「愛」は「有限」であることがわかるのです。
 
想像してみて下さい。
一人の人が「関心」を持てる対象には限度があります。
例えば自分に3人の子どもがいるとして、
3人に「関心」=「愛」を向けることは容易(たやす)いでしょう。
 
しかし、自分の子どもが仮に100人だとしたら?千人だとしたら?
 
全ての子どもの顔と名前すら一致させることは、できないでしょう。
とてもとても、その一人一人の内面まで知ることはできません。
 
だから私達にできることは、
「縁」のある人々に精一杯「関心」を持つことまでなのです。
 
「愛の反対は無関心である」という言葉を残したマザー・テレサは、
日本に講演に来たときに、
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、
 目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」と言いました。
 
遠くの国の人々に「関心」を持って募金等の援助をすることも、
とても尊いです。
しかし、身近の「縁」がある人達に「関心」を持つことも、
より本来の「愛」の形に沿う行動であり、非常に大切なことだと考えます。
 
「愛」が有限であるがゆえ、「縁」は重要です。
私やあなたが誰を愛すればよいか、「縁」は教えてくれます。
 
私は、「自分」も含めて「縁」ある人々のために、生まれたのです。
今「縁」あって、このブログを読んで頂いているあなたのためにも。
 
そしてあなたも、私や私のブログに「関心」を持って頂き、
私を愛してくれているのです。
 
ありがとうございます。
 
 
「愛」が「有限」であることは、残念なことです。

しかし私は、そんな「有限」である「愛」を「無限」にするアイデアを持っています。
 
それは、「増殖する者」の力を借りるということです。
 
私達個人個人は、「有限」の「時間」を生きています。
1日は24時間であり、仕事もあり用事もあり、
とてもとても一人の人だけに深く関わることもできず、
とてもとても64億の全ての人類に「関心」を持つこともできない訳です。
 
私達は無限の「愛」を発することができませんが、
「この世界で増え続ける者達」の力を借りれば、それが可能となります。
 
その「増え続ける者達」が、「遺伝子(Gene)」と「情報(Meme)」です。
この2つの存在については、
過去ブログ「ジーン(Gene)とミーム(Meme)−あり続けるもの−」をご覧下さい。
 
「遺伝子(Gene)」は、子孫をどんどん増やします。
だから「愛」を発する者がねずみ算式に増えていけば、
この「世界」はだんだん「愛」に満ちていくはずです。
 
もう一つの「情報(Meme)」は、
「遺伝子(Gene)」よりも効率よく「世界」に「愛」を満たします。
それは、唄や言葉や宗教や小説や絵画や書籍や芸術やコピペという形になって。
 
いくつか例を挙げましょう。
(1)「唄」
「ファイト!」(過去ブログ:この世界に実在する「優しい唄歌い」
「花」(過去ブログ:「花」〜それぞれに美しく誰のためでもなく〜
「いつも何度でも」(過去ブログ:「ゼロ」
「人にやさしく」(過去ブログ:再出発
「愛よりも青い海」(過去ブログ:ただ一つの唄を歌うために生まれた
 
(2)「小説」
一杯のかけそば」(過去ブログ:『一杯のかけそば』を読み直す。評価し直す。
 
(3)「コピペ」
「養父におとんと言ってやったんだよ」
(過去ブログ:【感動するコピペ】養父におとんと言ってやったんだよ
「お兄ちゃんとみーちゃんと金融屋」
(過去ブログ:資産がマイナスになることの恐ろしさ
阪神・淡路大震災の際の阪急電車の復旧」
(過去ブログ:【感動するコピペ】阪神・淡路大震災の際の阪急電車の復旧
 
他にもまだまだありますが、「コピペ」のところを読み返していたら、
とても胸が一杯になって、涙が出てきました・・・。
 
私達人間は、「情報」に「愛」を乗せるのです。
それが、一番よい「情報」の使い方。
願わくば、私のブログも、
私に代わって無限に「愛」を発信する存在になればいいなと想います。
24時間365日、誰に対しても公平に、そして無数の人々に、
このブログは休まず「愛」を発信することができる訳ですから。
 
そして、もっと多くの人々が、
ネット上で「愛」を奏でて欲しい。
 
それが、一番進化したインターネットの使い方です。