映画「インサイド・ヘッド」を観ました

職場の同僚2人に「私に」と、勧めて頂いてた映画がありました。
ディズニーの3Dアニメ「インサイド・ヘッド」という映画です。
 
うまくタイミングを持てたので、
昨日「インサイド・ヘッド」を観に行きました。
ウィキペディアは、こちら
 
とても興味深く、感動する映画です。
まだ観ていない人がいたら、私もオススメします。
 
粗筋は、こんな感じです。(ウィキペディアから引用)

11歳の少女ライリーの頭の中に存在する5つの感情たち…
ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。
ライリーの誕生や成長と共に生まれた彼らは、彼女を守り幸せにするために日々奮闘。
だが、ライリーを悲しませることしかできない「カナシミ」の役割だけは、
大きな謎に包まれていた。

 
つまりは、人の「感情」を擬人化して、
一人の少女の「心」の「成長」を描いていくという内容です。
少女自身の身に起きた「環境変化」をきっかけに、
「感情」達=少女が、どうそれを乗り越えていくのかを描いています。
 
「環境変化」と簡単に表現してしまうと、そっけないですが、
人の「頭の中」という視点で考えると、
それは、SF映画でエイリアンが地球を侵略する以上のインパクトであり脅威なのです。
 
そんな生まれて初めての深刻な脅威に対して、
「感情」達は、必死に少女のために奮闘します。
 
実は「環境変化」というのは、少女の家族の引越しのことです。
彼女以外の人に言わせれば、「何だそんなことか?」というお話になると思います。
しかし本人からしたら、それはエイリアン地球侵略よりも、
はるかに恐ろしい絶望的な脅威なのです。
 
個人個人の中でエイリアン侵略級の脅威が発生していても、それは他人からはわからない。
これは、とても辛く悲しいことだと思います。
基本的には、まず「心」の中の「感情」達が自分達で対処していくしかないのです。
 
しかし、自分達でできることには限度があります。
対処不能になったとき、「感情」達は麻痺をしていくのです。
 
 もう、何も感じたくない。
 
私はこの映画を観て、特に2つのことが「心」に残りました。
(1)「感情」達は、常に自分の「幸せ」のために必死で頑張ってくれている。
   世界の中で最も重要な仲間は、自分です。
   仮に世界中の人から嫌われたと感じても、自分だけは自分の味方。
   社会の偏った基準や周囲の一部の意見に同調して、
   自分を嫌いになることは「心」ないことです。
(2)ネガティブな「感情」達にも、自分を「幸せ」にするための「役割」がある。
   今回は「カナシミ」の役割に、クローズアップされていますが、
   「ビビリ」や「ムカムカ」や「ビビリ」も、
   自分を「幸せ」にするための「役割」を持っています。
   想像できる役割もありますが、私は「ムカムカ」の役割がわからなかったので、
   ネットで調べました。
   この映画のリサーチ段階から協力している
   カリフォルニア大学心理学教授ダッチャー・ケルトナー氏の解説があったので、
   その記事のリンク先を紹介します。
   (シネマ・カフェ・ネット
   上記を読んで、そうか「ムカムカ」にはこんな役割があったのか、と感じたのと、
   「イカリ」の役割に認識違いを発見しました。
   私は「イカリ」の役割を、
   外部環境の理不尽に対して反撃して身を護ることだと考えていたのですが、
   「行動を奮い立たせる」ことだと、ケルトナー教授は説明しているのです。
   実は私は「イカリ」を人を傷つける感情として毛嫌いしていました。
   毛嫌いして隠そうとするのですが、時々噴火してしまうのです。
   「イカリ」の噴火があって周りを引かせてしまい、更に「イカリ」を嫌悪する循環。
   しかし「イカリ」を完全に消し去ることはできないと、嘆いていました。
   「イカリ」の本質が、
   「他者への反撃」でなく「行動を奮い立たせる」ことだとするならば、
   私はとんだ思い違いをしていたようです。
   「行動を奮い立たせる」役割ならば、
   「イカリ」に「心」を任せることも「あり」だなと感じました。
 
そして、「カナシミ」の役割。
私は「カナシミ」も嫌いです。
「カナシミ」も消えてなくなればよいと感じていました。
しかしこの映画で「カナシミ」の役割を知り、その認識を変えたのです。
 
え!それは、どんな「役割」かって?
 
よかったら、それは映画を観て感じ取って下さい。
吹き替え版の「カナシミ」の声優は、女優の大竹しのぶさんです。
彼女の深い「心」のこもった吹き替えと共に、
「カナシミ」の役割を感じてみましょう。
 
「カナシミ」も、自分の「幸せ」を願うかけがえのない自分の一部なのです。
私は、自分の中の「カナシミ」を抱きしめてあげたくなりました。