「違う」ということ

日本在来のカントウタンポポカンサイタンポポが、
外来種セイヨウタンポポに繁殖競争で負けてしまった一つの理由として、
自家受粉ができるかどうか、ということがあります。
 
日本在来のタンポポは、
虫が、他の花の花粉を持ってきてくれないと、
種をつけることができないのです。
一方でセイヨウタンポポは、
自家受粉でもガンガン種を作って、繁殖していきます。
 
なぜ日本在来のタンポポは、
自家受粉をしないかというと、
自分と違う遺伝子を取り入れたいからです。
 
自分と異なる遺伝子を取り入れると、
自分の子孫が多様になり、
一つの病気で子孫達が全滅するというリスクを回避することができます。
 
セイヨウタンポポも、それが望ましいのですが、
もし他の花の花粉を受粉できなければ、
「しようがない」と諦め、
とりあえず自分のクローンでもよいから子孫を増やしていこうという戦略を採っているのです。
 
生物にとって自分と「違う」遺伝子を持つ個体と出会うことは、
非常に重要なイベントとなります。
 
人間においても、同様です。
当たり前のことですが、
人は自分とは「違う」遺伝子を持った人と結婚し子どもをつくります。
自分の子孫を残すという意味において、「違う」人と出会うことはとても重要です。
 
そして私は、
人の「心」の成長という意味でも、「違う」人との出会いが必要だと考えます。
生きていればわかることですが、同じ「心」を持つ人なんて一人として存在しない訳です。
遺伝子が同じ一卵性双生児ですら、「違う」「心」を持っています。
つくろうと思えば同じ構造をつくれる「物質」(遺伝子を含む)と異なり、
「心」は宇宙の中でも唯一無二の存在なのです。
 
想像してみて下さい。
物質複製装置が発明されて、あなたと全く同じ構造の人間を創ったとします。
しかし、そこに宿る「心」はあなた自身ですか?
想像すればわかることですが、
あなたの「意識」は、コピーされたもう一方の体に移るということはありません。
両方にあなたの「意識」が宿るということはないのです。
 
「みんな違う」「唯一無二」
これが、物質と精神の根本的な違いだと、私は考えます。
そうであるなら精神は、物質とは異なる法則で動いているはずです。
 
「唯一無二」の「心」は、何のためにこの世界に存在するのだろうか?
 
「唯一無二」の「心」はもしかしたら、
違う「心」と出会うために、この世界に現れているのではないのか?
 
「心」は、宇宙に例えられることが、しばしばあります。
自分の「心」だけでも、もしかしたら広大であり、
生まれる前は、
自分の「心」の中の宇宙だけで、十分にやっていけている可能性。
 
しかし「心」は成長するために、
ある時この世に生まれて「違う」「心」との出会いを求めるというストーリー。
 
物理法則が通用しない「心」に、私はこんな想像を当てはめています。
 
さてこの世界で、
実際「違う」「心」と出会って私の「心」はどうなったのか?と言いますと、
やはり子どもの頃と比べて飛躍的に「成長」したと感じる次第です。
 
自分とは「違う」「心」の価値を感じられるようになりました。
 
私は「温かい心」に助けられ、
自分の「心」の温度を温かくしたいと願うようになったのです。
また私は、他者と比べて弱い自分の「心」に気づき、
その「心」を強くしたいと願っています。
そして、誰の「心」にも存在する「心」の弱い部分に対しても、
それを無視したり攻撃したりせず、受け入れる勇気を持ちたいと私は切に願うのです。
 
もし仮に今死んだとしても、結構な「心」の成長を持って帰れそうですが、
せっかくここまで来たのならば、更なる成長を狙いたいと考えます。
 
私は、結構ギャンブラーです。
 
「人生」の「本質」を「心の成長」と見定めて、
お金や名誉にはチップを賭けずに、
「心の成長」一点張りでやってみようと想います。