「ちびくろサンボ」が廃刊になった理由

ちびくろサンボ」という絵本を、今の子は知らないかもしれませんね。
昔は、浦島太郎や桃太郎並みに、子どもたちにとってメジャーな物語でした。
どの小学校の図書館にもあり、ほとんどの小学生がそのストーリーを知っていました。
(「ちびくろサンボ」のウィキペディアは、こちら
 
ところが1988年に、「黒人差別をなくす会」という私設団体の抗議を受けて、
出版社が自主的に絶版にして、書店から回収されたのです。
(「黒人差別をなくす会」のウィキペディアは、こちら
 
よかったら、上記ウィキペディアに目を通してみて下さい。
この会の成り立ちに、びっくりします。
 
この組織のそもそもの始まりは、9歳の男の子の発案でした。
その子のお母さんが会長となり、
お母さんとお父さんと子どもの3人で、様々な抗議活動を始めました。
 
その活動内容は、ウィキペディアの表現を借りると、
「なくす会」が黒人差別表現をしていると思った
キャラクター、漫画、アニメーション、出版社、企業などに対して
抗議文を送りつけるというものです。
 
活動は、9歳の男の子が23歳になるまでの14年間続きました。
そしてその活動は、「差別」という名の下、日本社会に大きな影響を与えたのです。
 
詳しくは、ウィキペディアを見てほしいのですが、
彼らは様々な活動をしています。
 
まず1988年12月に絵本『ちびくろサンボ』に抗議、一時絶版させる。
その後12歳となった男の子(肩書:書記長)は、
カルピス食品の黒人を模したシンボルマークを
「典型的差別」と指摘し1990年1月からシンボルマーク使用中止を勝ち取る。
タカラが用いていたダッコちゃんマークに抗議し、使用中止させる。
ジャングル大帝』への抗議を行い、
手塚プロは『手塚治虫漫画全集』(当時全300巻)を始めとする、
1コマでも黒人が描かれている作品を収録した300数十冊の出版を一時停止。
1990年8月、鳥山明Dr.スランプ』、秋本治こちら葛飾区亀有公園前派出所』、
ゆでたまご『SCRAP三太夫』、佐藤正『燃える!お兄さん』、
えんどコイチついでにとんちんかん』に抗議、表現を修正させる。
1993年9月、絵描き歌の「コックさん」を収録したサンリオの絵本に抗議し、
回収に追い込む。
1995年12月、竹本泉あんみつ姫』に抗議し、回収させる。
1998年9月、沖縄県の観光土産の黒人を扱ったキャラクター人形の発売停止。
札幌市の児童公園「くろんぼ公園」に抗議し、「おひさま公園」に変更させる。
1999年6月、手塚治虫手塚治虫の動物王国』に抗議し、出荷停止させる。
2002年には再び岩波書店に対して、
ドリトル先生』作中にニガー川などの差別的表現があるとして抗議した。
 
このように1988年から2002年までの14年間、
彼らは抗議活動を続け日本社会の表現に修正を加え続けたのです。
 
黒人との接点もなかった普通の日本人の彼らが、
「差別」という言葉を使って抗議しただけで、
これだけの影響を社会に与えたことに驚きます。
 
彼らが黒人差別表現をしていると思ったものは、
彼らの抗議を受けて、どんどん修正されていった訳です。
彼らの「心」の中に、
万能感のような愉悦が少しはあったのではないかと、私なんかは勘ぐってしまいます。
 
既に印刷された出版物を回収させたり、絶版に追い込んだり、
有名な漫画の作者の表現を変えさせたり。
カルピス食品のロゴマーク変更に至っては、相当なコストが発生したのではないでしょうか。
 
私は想います。
ちびくろサンボ」を読んで、
黒人の人に親しみを感じる人はいても、差別的な考えを持つ子どもはいないだろうなと。
また、当時爆発的にヒットしたダッコちゃんを持っていた人が、
ダッコちゃん人形の影響で、黒人の人に差別意識を持つことなんてあるのだろうかと。
 
黒人差別をなくす会」の想いが優先されて、
手塚治虫さんを始めとした表現者の作品への想いが無視された気がして、私は悲しいです。
作者の皆さんは、別に黒人差別を煽りたくて、その作品を世に生み出した訳ではありません。
 
「表現」されたものに、様々な感想を持つことはとても健全ですが、
様々な感想のうちの一つの声が大きくなって、その作品自体に影響を与えるようになると、
その作品の魂が深く傷つけられたような気がして、私はとても悲しい気持ちになるのです。
 
今の子ども達は、
ちびくろサンボ」の中に登場する美味しそうなパンケーキを知らないのかもしれません。
私は子ども心に、いつかこのパンケーキをお腹いっぱい食べてみたいなと、
幸せなイメージを膨らませたものです。