「人生」は噛みしめる。

花は、鼻で香るもの。
鳥は、耳で愛でるもの。
風は、肌で涼むもの。
月は、目で楽しむもの。
 
・・・ちょっと無理矢理まとめた感がありますが、
人は何かの対象に対して、五感を使って感じ取ります。
 
では「人生」は、どのように感じ取っているのでしょうか?
 
私は、「味わう」だと思います。
「人生」は、「味わう」ものなのです。
 
「いや、味なんてしないよ!」と思う人もいるかもしれませんが、
それは、ちゃんと噛みしめていないからです。
 
ご飯を想像して下さい。
ご飯にも、ちゃんと味があります。
よく噛んで食べると甘い味がするのです。
 
しかし、私も含めて多くの人は、
ご飯をあまり噛まずに飲み込んでしまいます。
そうすると、ご飯には味がないと錯覚してしまうのです。
 
ある人が、自分の「人生」は平凡で何の刺激もなくて、
苦しいだけの「人生」だと思っていたとします。
それは、ピーマンとかニンジンとか苦手なものだけ味わって、
主食のご飯をちゃんと噛みしめていないからだと、私は考えるのです。
 
例えば私は、このブログを利用して、私の「人生」を咀嚼しています。
自分の「人生」に対して、「ああだこうだ」と考えていると、
「人生」の隠された味が感じられるようになる訳です。
 
日記にも、同様の効果がありますね。
 
また、最近はジャンクフードが増えているので要注意です。
 
食べた瞬間の味だけはよいのですが、後には何も残らないようなそんな時間。
 
テレビをダラダラと観ていたり、ネットやゲームをダラダラとしていたり。
もちろん、ジャンクフードでない名作のドラマもたくさんあります。
ジャンクフードかどうかの境は、
それを日記やブログで振り返ろうとしたら振り返れるか、です。
 
偏見があるかもしれませんが、
芸人さん達が内輪ネタで、
弱い立場の若手芸人をこづき回して笑いをとるようなバラエティーを観て、
内容のある感想文を書けるかというと、それは難しいと思います。
 
「人生」や「経験」は、「魂」の食事です。
 
やはり、「魂」にとって栄養のある時間を過ごす努力は必要だと思います。
「魂」にとってのジャンクフードは、見分けるべきです。
 
しかしだからと言って、食事は毎回ステーキである必要はありません。
例えば私は、ステーキも好きですが、冷や奴も大好きです。
それと同じように、
仲間や家族との楽しい思い出で満ちた輝かしい「人生」でなくったって、
ちゃんと「魂」に栄養のある「人生」を送ることは可能だと、私は想います。
 
例え、つながりに乏しい「人生」であったって、
ちゃんと噛みしめてあげれば、美味しい味がするはずなのです。
 
私は、このブログのお陰で、
「自分の人生はそんなに悪くない」と感じることができています。