「幸せ」の味

昨日の続きです。
 
昨日私は、「人生」は「味わう」ものだと描きました。
 
五感のうち、なぜ「味覚」なのかと言うと、
「人」と「人生」の関係性をイメージすれば、すぐにわかる話です。
 
「体」が、「食べ物」を自分に取り入れて成長するように、
「心」は、「人生」という「経験」を自分に取り入れて成長します。
 
自分の中に取り入れるものならば、
「人生」は、見るものでも、聞くものでも、触れるものでも、嗅ぐものでも、ない訳です。
 
やはり、「味わう」ものだと考えます。
 
この「世界」に生まれた「魂」は「人生」を食べて、
自分の体をつくり、自分を成長させるのです。
 
食べるからには、「人生」には様々な味があります。
「甘い」「苦い」「濃厚な」「淡泊な」「刺激的な」
 
ここまで考えを進めて、私の中に一つの「気づき」が降りてきました。
 
 「幸せとは、味だ!」
 
うんうん。これは、かなり革新的で本質的な気づきです。
「本質」に気づけば、それはコントロール下に入ります。
 
では、美味しい「人生」(=「幸せ」)を頂くには、
どのようなことをすればよいのでしょうか?
 
「人生」を「味わう」ものだとイメージできれば、
「お金」も「地位」も必要条件でないことがわかります。
 
もちろん「お金」や「地位」があれば、
高級レストランに行って美味しい「人生」を味わうことは可能でしょう。
 
ですが、高級レストランに行かずとも、探せば美味しい定食屋なんていくらでもあります。
なんなら、産地に行けば高級レストランよりも美味しい食事も味わえるはずです。
 
「幸せ」の「本質」に気づく前は、
「美味しい料理が食べられるのは、この高級レストランらしい」という
限定的な情報しかないため、
皆一生懸命お金を貯めて、時には争って、一部の高級レストランに殺到していました。
 
しかし「幸せ」の「本質」に気づいてしまえば、
自分で美味しい食事を、探すことも創ることも可能となる訳です。
 
具体的なお話をしましょう。
 
「幸せ」=「味」ならば、私達は「味」のある行動を選択するべきです。
「人生」における「味」とは、「感想」のことだと私は考えます。
 
ですので、「感想文」を書けるような行動を常に採るべきです。
特に休日は、「感想文」を書ける一日を目指しましょう!
 
「感想文」を何千何万枚と書ける「人生」こそが、
「幸せ」な「人生」だと、私は考える次第です。
 
そういえばこのブログも、私の「人生」の「感想文」みたいなものですね。
私は現在、700以上のブログ記事をアップしています。
 
それだけ、味のある「人生」を過ごしてきたということかな・・・
こんな「人生」ですが、捨てたものではないかもしれませんね。