「魂」の存在を、エクセルで説明する

エクセルで、「魂」の存在を説明します。
 
まず私達は、自律式のコンピュータであると認識して下さい。
それは「遺伝子」というプログラムによって、
私達の細胞の動きや私達の行動が決まってくるからです。
 
私達の行動が、
プログラムで決まってくるということに違和感を覚えるかもしれませんね。
 
例えば、私がこうしてブログを描いているのも、遺伝子のプログラムで動いているのか?
はい、私もそこには違和感を覚えます。
しかし、どうも私達の予想するよりもはるかに多くの行動が、
遺伝子のプログラムで動いているようなのです。
 
例えば、卵からかえったヒナ鳥が、
最初に見た動くものを親鳥と思い込む「刷り込み」現象。
これは完全に「遺伝子」のプログラムによって実行される行動です。
 
私達の何気ない動作や行動にも、
「遺伝子」のプログラムで自動実行されているものが
かなりの割合で存在すると私は考えます。
 
しかし私が朝起きて、「よし今日はブログを描こう」と想うところまで、
「遺伝子」のプログラムなのか?というと、やはり「そうではない」と考える次第です。
 
ここに説明不能な矛盾が発生します。
全てが「遺伝子」のプログラムによって動いているはずなのに、
どうもそうでない部分が存在する。
 
「遺伝子」以外に、「別の操縦者」がいるんじゃないかと?
 
この「別の操縦者」の存在感は、
哺乳類や鳥類のような高度な生命体に顕著に表れます。
言い換えれば、「遺伝子」のプログラムがカオスなほど複雑になったステージにおいて、
「別の操縦者」が登場するのです。
 
プログラムが複雑になればなるほど、エラーが発生しやすくなります。
そのプログラムエラーの際に「別の操縦者」の関与を見て取れるのです。
以下に2つの事例を挙げます。
 
(1)例えば、相反する2つのプログラムが同時に走る場合。
 コンラート・ローレンツ博士が発見した、宝石魚の「葛藤」。
 父親の魚に、
 「子どもへの保護欲」と「食欲」という2つの相反するプログラムが実行されたとき、
父親は硬直したようにじっとして、それから両方の目的を満たす行動を採るのです。
(詳しくは、過去ブログをどうぞ)
この場合2つの相反するプログラムの調整者という形で、
「別の操縦者」の存在を感じることができます。
考えても見て下さい。
私達人間の生活は、「葛藤」だらけです。
朝起きたら、「まだ寝ていたい」「会社に行かなくちゃ」「お腹が空いた」。
様々な欲求が起こり、それを誰かが調整しています。
私達には常に複数の欲求の対立が起こっているので、
おそらく日常で状態的に私達を動かしているのは
「遺伝子」よりも「別の操縦者」であることが多いでしょう。
 
(2)例えば、既存のプログラムでは対処できない状況に陥った場合。
 「ダンゴムシに心はあるのか?」(森山徹著:PHPサイエンスワールド新書)
 という書籍が流行りました。
 私もこの本を読み、ダンゴムシに「心」があることを感じた次第です。
 (詳しくは、過去ブログをどうぞ)
 その「心」とは、既存のプログラムでは対処できない状況に陥った時に現れました。
 ダンゴムシは水がとても苦手です。
 水を恐れ、水溜まりからどんどん遠ざかるようにプログラムされています。
 この水溜まりからどんどん遠ざかるために、
 ダンゴムシは便利なプログラムを用意しているのです。
 それが、「交替性転向」という行動パターン。
 これは、進んでいて障害物にぶつかったら、
 前回曲がった方向とは逆の方向に曲がるというものです。
 こうすれば、天敵や水溜まりのような遠ざかりたい対象から
 どんどん遠ざかることができます。
 ところが、この「交代制転向」を駆使しても、
 大嫌いな水からどうしても逃れられない環境を用意したら、どうなるか?
 彼らは機械のように永遠に「交替性転向」を続けるのではなく、
 ある時「意を決した」かのように水に飛び込んで
 向こう岸に泳ごうとする個体が現れるのです。
 我々人間も「意を決して」恐怖や欲求を乗り越えないといけない場面が多々あります。
 見事恐怖や欲求を乗り越える時に、
 「心」あるいは「魂」の煌めきがそこに介在していると、私は感じるのです。
 
このように、遺伝子の「プログラム」エラーの狭間に、
「別の操縦者」である私達の「心」あるいは「魂」の存在を感じることができます。
「自由意思」は、複数の欲求の「調整」や「超越」の過程で生まれたのです。
 
ところで、私はエクセルが得意なのですが、
上記で述べたことを、エクセルの「数式」という「プログラム」で考えたらどうなるか、
思考してみました。
 
多分、こんなことです。
例えばエクセルに、「自己参照」というエラーを発生させます。
このエラーを起こすのは簡単で、
A1という場所のセルに「=A1」という数式を入力するだけです。
 
そうすると、エクセルはエラー表示をしてその計算を放棄してしまいます。
なぜならば、永遠に答えを得られないからです。
A1のセルの値は、「A1を参照しろ」と、プログラムしているのですが、
その言われたA1を見に行くと、そこには更に「A1を参照しろ」と書いてある。
 
これでは、パソコンはお手上げです。
この簡単な「矛盾式」は、
例えスーパーコンピュータを何台持ってきても、解くことができません。
 
物理法則の集積であるコンピュータには不可能なこの「矛盾式」を、
実は私達はいとも簡単にやってのけているのです。
 
例えば、私は私の正体を知ろうと、このブログで必死になっています。
また「自分」という概念を持っている人(や生命)なら、
「自分」を思考の対象にすることを頻繁に行っているはずなので、
ここでも「自己参照」の矛盾が起きていると言える訳です。
 
論理的にはやってはいけない禁断の処理「自己参照」を、
私達高度な生命体が行い始めたとき、
エラー表示が出てストップする代わりに、
「心」や「魂」がどこからか生じたと私は考えます。
 
コンピュータのエラーは、
一定数計算を繰り返しても答えが出ないときに、出現する緊急処理です。
しかし「遺伝子」のプログラムには、そんな機能はついていません。
一度始めてしまった「自己参照」は、それこそ命ある限り永遠に続けられるのです。
 
私達の「魂」をエクセルを使って説明するならば、
どんなに繰り返しても出てこないはずの答えが、
いつの間にかどこかからやってきたということになります。
 
A1のセルに「=A1」という数式を入力しても、
絶対にそのセルの値が決まることはないのですが、
何万回、何億回、何兆回と、同じ処理を繰り返している内に、
いつの間にか「2」という値が代入されていて、
矛盾式が安定してしまったようなものです。
 
その「2」は、どこから来たのか?
それは、私達の現在科学の基礎となる論理の秩序からは生まれ得ないものなのです。
別軸の次元から来たとしか、言いようがありません。
 
私達の「魂」も、きっと同じような過程で生まれたのではないかと、
私は考えるのです。