ジェレミ・ベンサムの「功利主義」

以前に、
マイケル・サンデル博士の「これからの正義の話をしよう」(早川書房)という書籍が
流行りました。
私も読み、感動した次第です。
「この本には、世界の全てが書かれている」と、感じました。
 
そこで提示されているのは、哲学の話。
哲学と言っても、小難しいことではありません。
何が正しく、何が間違っているのか?
何が「善」で、何が「悪」なのか?
そういったことを、これまで人類がどのように考えてきたのか?
その歴史を興味深くわかりやすく説明しています。
 
読めばわかりますが、
何が「善」で何が「悪」なのかは、とても奥深い投げかけです。
考えれば考えるほど、何が正解なのかわからなくなってきます。
 
この難問を、歴代の偉大な哲学者達が考えてきたのです。
この書籍に綴られている歴代の哲学者達の考えた「善悪」は、
それぞれがそれぞれに、「そうか!なるほど」と読む者を納得させてくれます。
 
この書籍の狙いは、個々人が「善悪」を考えること。
マスコミや社会に「善悪」の判断を委ねるのは、自らの魂を売っているようなものです。
 
前回のブログ記事にも描きましたが、
「善悪」をこじらせたら、それこそ戦争にもなります。
それに、個々人の「幸せ」にだって、直結する問題なのです。
 
人は「善悪」をこじらせることで、深刻に手痛い人間関係の事故を引き起こします。
人は「善悪」をこじらせることで、人は悪魔のように他者を傷つけもするのです。
 
フランスでは、学生の頃から哲学を学ばせ、大学入試に哲学があります。
フランスでは、国の押しつけである「道徳」の代わりに、
国民一人一人が「善悪」を考える力を養わせているのです。
さすが、フランス革命の国だと感心します。
 
マイケル・サンデル博士の「これからの正義の話をしよう」(早川書房
まだ読まれていない方は、是非読まれることをオススメします。
お子さんがいる方には、特にオススメです。
親が子どもに伝えるべき大切なことが見えてくると思います。
(関連過去記事は、こちら
 
さて、私も様々に「善悪」のことをずっと考えてきた次第です。
そして前回記事では、「善悪」は幻と断じました。
 
「善悪」は、「生命」同士が起こす「衝突」の結果として生じるもの。
「衝突」自体は事実ですが、そこにあるのは「衝突」のみであり、
どっちが「善」でどっちが「悪」かというような色づけは「世界」には存在しないのです。
 
例えば、自分の子どものために他の動物の子どもを襲う母ライオン。
このライオンは「悪」でしょうか?「善」でしょうか?
 
そこにあるのは、必死に生きている「生命」の「一生懸命」のみなのです。
同様に私達人間が起こす「衝突」にも、「善悪」はありません。
それぞれに「一生懸命」生きているからこそ、
「衝突」が起きてしまったに過ぎないのです。
 
しかし「衝突」が、「生命」の健全な営みであったとしても、
「衝突」による損害は最小限に収めることが、望ましいと考えます。
そこで現在の私は、
書籍「これからの正義の話をしよう」で紹介されている歴代の哲学者の中で、
ジェレミ・ベンサム博士の「功利主義」を支持する次第です。
 
ウィキペディアによりますと、
ジェレミ・ベンサム博士は、「最大幸福原理」という考えを示しました。
「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」
という考え方です。
実にシンプルに「善」と「悪」を定義しています。
この立場は現在でも強い支持がありますが、一方でさまざまな批判的立場もあるようです。
 
功利主義」が肯定的に語られる例として、
当時のイギリスでは禁止されていた同性愛の擁護が挙げられます。
ベンサムは、同性愛は誰に対しても実害を与えず、
むしろ当事者の間には快楽さえもたらすとして、合法化を提唱したのだそうです。
この他、「功利主義」によれば被害者なき犯罪はいずれも犯罪とならないとしています。
こういった彼の大胆な提唱を、皆さんはどのように受け止めるでしょうか?
 
このことを深く考察するためには、有名な思考実験「トロッコ問題」があります。
詳しくは、ウィキペディアを見て欲しいのですが、
要は「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問答です。
 
ちょっと、引用しましょう。
よかったら以下の思考実験を、あなたも行ってみて下さい。

まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。
(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。
  このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく
  轢き殺されてしまう。
そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
  A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。
  しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、
  5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
  A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
  なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。
  また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。
  あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
  つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。

 
功利主義」に基づくなら、一人を犠牲にして五人を助けるべきということになります。
 
さてさて皆さんは、「善悪」の基準軸をお持ちでしょうか?
今回、この記事を読まれたのも何かの「縁」ですから、
ここで一つ「善悪」について思索してみるのも一興だと思います。
 
現在の私の「善悪」の基準軸は、以下の通りです。
「善悪」は可能な限りシンプルに、そしてこじらせてはいけない。