人からの「評価」を気にしないようにするには?
まず言っておきますが、人からの「評価」はとても重要です。
それは自分を映す「鏡」であり、
「鏡」なしでは、人は社会に適応するように成長できません。
しかし「鏡」を気にしすぎると、
それは拒食症のような病的症状を引き起こしてしまうのではないでしょうか。
フランスの哲学者、精神科医、精神分析家で、ジャック・ラカンという方がいます。
(ウィキペディアは、こちら)
この人は、人の自我の確立は乳児期に「鏡」を使って行われると、提唱しました。
鏡像段階論です。
ウィキペディアから引用しますと・・・
鏡像段階論とは、
幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、
成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、
鏡に映った像が自分であり、統一体であることに気づくという理論である。
一般的に、生後6ヶ月から18ヶ月の間に、幼児はこの過程を経るとされる。
幼児は、いまだ神経系が未発達であるため、
自己の「身体的統一性」を獲得していない。
つまり、自分が一個の身体であるという自覚がない。
言い換えれば、「寸断された身体」のイメージの中に生きているわけである。
そこで、幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、
自分の身体を認識し、自己を同定していく。
この鏡とは、まぎれもなく他者のことでもある。
つまり、人は、他者を鏡にすることにより、
他者の中に自己像を見出す(この自己像が「自我」となる)。
すなわち、人間というものは、それ自体まずは空虚なベース(エス)そのものである。
一方、自我とは、その上に覆い被さり、
その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)想像的なものである。
自らの無根拠や無能力に目を瞑っていられるこの想像的段階に安住することは、
幼児にとって快いことではある。
この段階が、鏡像段階に対応する。
まさにこの鏡像段階論では、自分を映す「鏡」を2種類挙げています。
一つは、物理的な体を映す本物の「鏡」。
もう一つは、精神的な人格を映す他者という「鏡」。
そしてこの鏡像段階論で注目すべきは、
「人間というものは、それ自体まずは空虚なベース(エス)そのものである」
としている点です。
これが本当だとしたら、
「鏡」によって、「自我」をいかようにも改造できてしまうように感じます。
例えば現在のテクノロジーを使えば、乳児に見せる鏡に「細工」をすることは可能でしょう。
鏡に映る姿を、パンダに変換する鏡があったとしたら、
乳児は自分の姿をパンダだと認識してしまうことは、十分にあり得ると思います。
同様にもしかしたら自身の人格も、
他者の評価という「鏡」によっていかようにも改造できる余地がありそうです。
子どもにとって、親は自分を映す「鏡」であるならば、
あまり叱りすぎるのもよくないのかな、と感じます。
自分を低評価な存在と認識した子どもは、自らの翼を一生開くことはないでしょう。
また、「○○ちゃんは優しいね」と言って、
子どもを褒めているお母さんをよく見かけます。
これはよいことなんでしょうね。
きっとその子は、
「自分は優しい人間なんだ」と自分を信じられるようになると思います。
しかし、肯定的なことだけでは社会に適応できない訳で、
人は、鏡像段階から次の段階に移るのです。
ウィキペディアから引用しますと・・・
人間は、いつまでも鏡像段階に留まることは許されず、
成長するにしたがって、やがて自己同一性や主体性を持ち、
それを自ら認識しなければならない。
こうして鏡像段階において、基本的にポジティブな自己を満喫した後は、
ラカンが「父の名」と呼ぶ機能によって、
社会的な法の要求を受け入れることや、
自分が全能ではないという事実を受け入れることが、成されるのです。
しかしこの「人格」を写す「鏡」は、
本物の「鏡」のようには正確に自分の姿を映してくれません。
ウィキペディアの言葉を借りれば・・・
「これが自分だ」と自己を同定し、自我を確立するためには他者が必要だが、
そこで真の自己と出会えるわけでは決してない。
人は常に「出会い損ね」ている存在なのだ。
ここに人間の根源的な空虚さを見出せるとも言える。
私もここに、「人生」の生き苦しさの根源があるように思います。
人は己の人格を見つめるために、
他者を「鏡」にせざる得ないのですが、
その「鏡」では、真の自分を見つけられない。
そういう意味では、「自分探しの旅」っていうのも有効かもしれませんね。
今の狭い環境だけでなく、国境をも越えた様々な人達(鏡)と出会って、
真の自分を観ようとする旅とするならば。
さてさて、ここで今回のテーマに戻ります。
人からの「評価」を気にしないようにするには、どうしたらよいか?
結論!
目の前の「鏡」ばかりに固執しない。
その「鏡」は、世界に何十億とある「鏡」の一つに過ぎない。
その「鏡」は、あなたの一面を不器用に映し出しているに過ぎないのです。
他の「鏡」にも目を向ける。
たくさんの「鏡」が自分を映していることを意識する。
その総体をもって、自分を判断するようにしましょう。
一つ一つの「鏡」が不正確ならば、
「鏡」の数を増やして自分を把握するしかないのです。
自分が太って見える「鏡」ばかりを見つめていては、
いつか拒食症になってしまいますよ。