「ラプラスの魔」

今日は「ラプラスの魔」について。
 
私の中で、声に出して読みたい3大科学用語の一つとなっています。
残りの2つは、「シュレディンガーの猫」「マクスウェルの悪魔」です。
上記は、既にブログ記事としてアップしています。
内容が気になる方は、よかったら私の過去記事を見て下さい。
「シュレディンガーの猫」
「マクスウェルの悪魔」
 
さて今回は、最後の「ラプラスの魔」について書きます。
これは、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された概念です。
ウィキペディアは、こちら
 
ラプラスは、自著でこんな主張をしました。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、
その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

 
あなたはこれを、正しいと感じますか?
 
例えるなら、
過去や現時点の全ての要素をインプットしたスーパーコンピュータが、
未来を正確に予測できるのか?
 
「できそう」と感じますが、現在の最新物理学では
どんな超高性能のスーパーコンピュータを使ったとしても「できない」という結論になります。
 
古典物理学ニュートン力学)であれば、全ての運動は「決定論的」に決まる訳です。
ニュートン力学の運動の法則を使えば、
あるスピードで運動しているある質量の物体が、
1秒後にはこの位置にいるだろうということが決まってきます。
 
しかし、それは目に見えるマクロな物体の話であり、
もっと微細な原子や素粒子のレベルになると、話が変わってくるのです。
20世紀前半から始まった量子力学では、
全ての物質は、観測されるまでは「確率論」的にしか存在できないとされています。
 
この電子は、ここにいる可能性が何%、あそこにいる可能性が何%・・・という具合です。
 
一点に特定されず、ぼんやりと存在する雲のような状態で、全ての物質はたゆっている。
誰かが観測するまでは、
A地点にあるかもしれないし、B地点にあるかもしれないという状態が、
重なり合って同時に存在する訳です。
 
このような量子力学の世界観では、
決定された過去や現在とは別に、未来は確率でしか語れないというお話しになります。
 
全知(全ての情報がインプットされ)全能(どんなに複雑でボリュームのある計算でも行える)
のスーパーコンピュータが存在していたとしても、
そこでシミュレートされた未来は、一つの「世界」の可能性に過ぎず、
実際は別の「世界」に分岐することが十分に考えられる訳です。
 
ですので現在では、「ラプラスの魔」は存在しないという結論になっています。
 
という訳で、「世界」は決定論では動いていないのです。
未来は、私達が私達の自由意思で創っていくしかありません。
 
5年後10年後の自分がどうなっているか?
それを知るものは誰もおらず、
唯一当事者の自分が、未来を決定する権利を有しています。