魚の世界で成立する「信頼」関係

ホンソメワケベラという魚をご存じですか?
おそらく、多くの人がこの名前に聞き覚えがあると思います。
それは、この魚がとても変わった生態をしていて、
よくテレビで紹介されるからです。
(ホンソメワケベラのウィキペディアは、こちら
 
では、実際の画像を見てみましょう。

 
どっちの魚がホンソメワケベラかわかりますよね?
大きな魚の口の中に頭を突っ込んでいる小魚が、ホンソメワケベラです。

 
彼らは、他の魚の掃除をして生計を立てています。
他の魚の体表についている寄生虫を補食しているのです。
掃除をしてもらっている側の魚も、
掃除をしやすいように、口やエラブタを大きく開けて協力します。
肉食の大きな魚も、ホンソメワケベラを食べてしまうことはないようです。
 
ここに、種を越えた魚同士の「信頼」関係を見ることができます。

ウィキペディアによりますと、
ホンソメワケベラを信頼して掃除してもらう魚は
チョウチョウウオ、ヒメジ類などの小型魚からギンガメアジなどのアジ類、
クエ、マハタ、ユカタハタなどの大型ハタ類まで、
サンゴ礁にすむ魚のほとんどを占めるのだそうです。
 
野生の殺伐とした弱肉強食の世界にあっても、
このような「信頼関係」が存在することに私達の「心」はホッとします。
どういう仕組かわかりませんが、
「ホンソメワケベラは食べない」「ホンソメワケベラには身を委ねる」という、
暗黙のルールが魚類の世界にあることに、ホッとするのです。
 
私は思うのですが、欲に振り回されない「生命」の姿を見ると、
人の「心」は安らぐように感じます。
例えば、身寄りのない子猫の育児をする犬のように、
種の違う親子の愛情の話を聴くと、
ほとんどの人が暖かい気持ちになるのではないでしょうか。
一方で、親が自分の子の育児放棄をしてしまったり、
あろうことか親が子を食べてしまう動物の話を聞くと、
多くの人が暗澹たる気持ちになると思います。
 
このような私達の「心」の動きを追うと、
私達にとって「欲」「本能」「煩悩」のようなものに振り回される状態は、
あまり好ましくない状態だと「心」は判断しているようです。
一方で、他の「生命」に気遣ったり、
自分と同じように大切にしている「生命」の姿を見ると、
私達の「心」はそれを歓迎します。
 
やはり私達の「心」には、「愛」に対する指向性があるのかなと感じる次第です。
 
さて、ホンソメワケベラの美談に水を差すような「生命」の存在があるので、
それを紹介したいと思います。
それは、ニセクロスギンポというホンソメワケベラとそっくりな姿の魚です。

 
セクロスギンポは、ホンソメワケベラとは全く別の仲間に分類される魚ですが、
ホンソメワケベラとよく似た体色をもち、泳ぎ方も似ています。
これは、一種の擬態です。
 
ホンソメワケベラと似ているので、
他の魚はホンソメワケベラとだと認識してこの魚に近寄るのですが、
この魚は相手の魚についている寄生虫を食べることはせずに、
相手の皮膚や鰓を鋭い歯で食いちぎってすばやく逃げてしまいます。
 
これも生きるための戦略なので、善も悪も美も醜もない訳ですが、
せっかくホンソメワケベラが築き上げてきた「信頼」や「暗黙のルール」を
悪用するその生態には、少し残念な感じもします。
 
イメージとしては、
ものすごい情熱をかけて発明され、世の中に爆発的に普及した特許製品を、
真似る海賊版が出てきて、しかもその海賊版は姿だけは似ているものの、
購入してみると全く本来の機能を果たさない粗悪品であるようなガッカリ感でしょうか。
 
新しくうまい仕組を創りあげる存在と、
それを悪用してその仕組を台無しにしてしまう存在。
 
私達「生命」全体の視点で考えると、新しくうまい仕組を創りあげる方が、
「生命」全体を「幸せ」の方向に引っ張ってくれるように感じます。