ドーナツに穴はあるか?

最近ネットで面白い哲学的問いかけがあったので、
私も考えてみたいと思います。
 
その問いかけとは、
「ドーナツに穴はあるか?」という問いかけです。
 
まず「哲学とは何か?」という持論を書きます。
それは「自分で考えること」です。
当たり前に盲目的に受け入れている概念を、
自分の頭でゼロから考えることです。
 
例えば、「人を殺すことは悪いことだ」という概念。
当たり前のことですよね?
 
しかし、私はそれをきちんと自分の頭で理解しようとこのブログで考えました。
【哲学】なぜ、人を殺してはいけないのか?(その1)
【哲学】なぜ、人を殺してはいけないのか?(その2)
 
この作業って、無意味でしょうか?
私は「人を殺すことは悪いことだから、悪いんだ」でもよいと思います。
「人を殺すこと」を悪かどうか疑うなんて不謹慎なことですよ。
 
しかし、「当たり前のこと」「何となく受け入れていること」「よくわからないこと」を、
自分の頭で考えることは、
人生を豊かに、そして「幸せ」に生きていく上で、とても重要な行為だと私は考えます。
 
ですから、「人を殺すことの善悪」を考察することに意味があるのでなく、
そういう疑うことがタブーとされている「当たり前のこと」を疑う勇気を身につけることに、
上記哲学的作業の本当の「意味」があると、私は考える訳です。
 
そういう、脳が汗をかいて導き出した手作りの考え方は、
自分でつくった料理のように、自分にとって美味しいですし、
他の人から好評を頂くことも結構あります。
 
以下の過去ブログは、幾人かにツイートをして頂きました。
「同情」は、なぜ悪いのか?
 
どんな工場で作られているかわからない既製の加工食品ばかり食べていると、
体にはよくないのですよ。
素材から手作りした料理は、健康維持にもよい影響を与えます。
そして、工場の加工食品に不安や疑念を持っている他の人達も、
ネットで検索して、私のブログ記事のような手作りの料理に出会うと、
「ああ、これは加工食品と違って美味しいな」という感じで評価してくれる訳です。
 
そして、こういう当たり前のことを自分の頭で考える力がついてくると、
「幸せ」とは何か?「生きる」とは何か?という、
世間でもあまり答えが提示されていない難問にも向かっていくことができるようになります。
 
「幸せ」や「生きる」ことの意味を、自分の頭の中で導き出せたら、
「生きる」上で強いですよ。
悩むことが減り、周囲の風に煽られることなく、
真に自分が納得できる生き方を目指すことができるようになると考えます。
 
「哲学」とは、そういう個々人が「生きる」上での重要な指針を、
加工食品を使わずに自家製でつくることなのだと、私は考える次第です。
 
正直「ドーナツに穴があるか?」なんて疑問は、ナンセンスだと思います。
「そんなことを真剣に考えるなんて訳わからん」とほとんどの人が思うはずです。
しかし「哲学」の本質は、その下らない質問の内容にはありません。
そんな馬鹿げたことでも、
「まずは自分でゼロから考えてみよう」とする
「意思と行動」のトレーニングに、真の意味があるのです。
 
「自分で考える」と言っても、カンニングはオッケーだと思います。
先人が考えてきたレシピを参考にした方が、よい料理がつくれそうですからね。
今だったらネットで、多くの人のレシピを拾うことができます。
 
もちろん、他者のレシピを模倣だけするのでなく、
これが「私スペシャルだ!」というような、
自分の作品に仕立てることは必要です。
 
では、今回のお題の「ドーナツに穴はあるか?」に話を移します。
 
・・ですが、もうこの質問を真剣に考える必要はないでしょう。
この質問に、答えなんてありません!
 
そうではなくて、そんな下らない質問にも、
ゼロから自分の頭で考える「意思と勇気」を発揮することに
この質問の本当の意味がある訳です。
 
「哲学」って下らないことばかり考えているなって思っている人も多いかもしれませんが、
「哲学」の本質は、
その下らない質問の内容にあるのでないことを理解して欲しいと思います。
 
社会に委ねきりだと、工場の加工品ばかり食べる羽目になりますよ。
様々な生きる「知恵」を、自分でもゼロから料理できるようになること。
それが「哲学」の本質だと、私は考えるのです。