「飛べない豚」なのか「飛ばない豚」なのか

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」
 
ご存じの人も多いと思いますが、
スタジオジブリの製作映画「紅の豚」の主人公ポルコの有名なセリフです。
(「紅の豚」のウィキペディアは、こちら
 
生家が航空機産業に関係していたため、
幼い頃から空を飛ぶことに憧れていた宮崎監督が、
自分の夢として描いた作品なのだそうです。
 
宮崎監督自身がその演出覚書において、
「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画」にしたいと記しています。
それまでの「子供向け」ではなく、同年代に向けた作品となっているのです。
 
紅の豚」が宮崎監督の「夢」を描いたものだと知った時、
「ああ、いいなぁ・・・」とシミジミ想いました。
 
まさに大人の「夢」。
子どもには、まだ描くことのできない「味」のある素敵な「夢」だと思います。
 
大人になっても「夢」を持っている人って、どのくらいいるのでしょう?
 
私は「夢」なんて、どっか行ってしまいました。
まさに「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男」です。
 
紅の豚」には、
飛行機乗りという「ロマン」があり、
ジーナとの「ロマンス」があります。
 
日々会社勤めをしている我々からすると「ロマン」はほど遠く、
いい年こいたおじさんが「ロマンス」を追うのもいかがなものかと。
 
しかし「カッコイイとは、こういうことさ。」という映画のキャッチコピーにあるように、
我々中年男が見るべき「夢」とは、
「カッコよさ」とか、そういう自身のあり方にあるのかなと想う次第です。
 
若い頃は、話が上手で面白い人が、
異性からも同性からももてはやされたような気がします。
しかし、ポルコはシャイな豚。
ポルコの「カッコよさ」には、しゃべりは必要ありません。
 
しかもポルコは外見が豚なのに、「カッコイイ」のです。
 
紅の豚」を観て想うのは、
本当の「カッコよさ」とは「行動」や「美学」にあるのかなということ。
 
私は、飛行艇を持っていませんが、
「行動」や「美学」は、これからでも磨いていけるかなと感じています。
 
「ポルコのようにカッコイイ生き方をしたい」
私は、そんな「夢」を持つことにしました。
 
ところで、冒頭の「飛ばねぇ豚はただの豚だ」。
「飛べない豚」と勘違いして覚えている人が多いそうです。(私もその一人でした)
 
それって、無意識に脳内で「飛べない」に変換されちゃったんだろうなと感じます。
正確には「飛べない」じゃなくて、「飛ばない」。
 
私達は思い立てばいつだって、「夢」を見て「夢」を追うことができます。
それなのに私達は、もう「夢」を見れないと諦める。
 
「飛べない」じゃなくて、私達は「飛ばない」だけなのだと思います。