「読書」と「登山」の違い

私は「未知」に対して、とてもワクワクします。
私は「知る」ことに対して、貪欲だからです。
 
この「世界」について、私は知りたい。
「世界」のことを知るためには、
「未知」をどんどん「踏破」していけばよいのです。
 
「未知」は山のごとく。
様々な「未知」の頂に立てば、
「世界」の景色が見えてきます。
 
「知る」と言っても、鵜呑みはイヤです。
そんなの他者が山頂に登った写真を眺めて、自分が登った気になっているようなもの。
自分なりに「考察」し「理解」できた時に、
初めてその山を「踏破」できたことになるし、
その山頂からの風景を自分の「心」に焼き付けることができます。
 
さてそういった観点で、私にとって「読書」は「登山」です。
「未知」に踏み込める絶好のチャンス。
その書籍は、どんな風景を私に見せてくれるのか?
 
そしてその山の頂に立つと、
その向こうにそびえる更なる山が見えてくる。
「わお!あの山の向こうには何があるんだ!!」
こうして私の探検は、続いていきます。
 
昔は小説とかも好んで読んでいましたが、
最近は、科学や思想や哲学の本ばかりです。
その動機は、多分山登りする人の動機と似ています。
「未知」の風景に出会いたいから。
 
ただ、山登りには複数人と行く楽しみというのもあるかもしれません。
「読書」は、あくまで単独登山です。
 
そこは、違うかな。
 
「知識」の世界は、ワクワクの共有がとても難しい。
例えば、趣味思考の異なる人々と一緒に山登りしたとして、
頂上に辿りついた時の風景の美しさを一同で共有することは、
そんなに難しいことではありません。
 
しかし、複数人で同じ本を読んで、
同じように感動することは難しいようです。
読書会というものにも一時期参加したことがありますが、
万人の心にビビッと来る書籍にはなかなかお目にかかれなかったように思います。
 
「登山」と「読書」の大きな違いは、
おそらく「風景」を共有できるかどうかです。
 
「登山」の場合は、同じ「目」という器官で、同じ場所の風景を見ることになります。
しかし「読書」の場合は、個々に異なる「心」という器官で風景を見ることになるので、
見え方には大きな差異が生じるはずです。
また、理解度の差というものもあります。
現時点で獲得している「知識」の質や量によっては、
絶景ポイントに気づかないこともある訳です。
 
例えば、私が10年前に読んだ書籍を今読み返したとき、
明らかにそこから読み取れる風景は異なるだろうと思います。
 
私には、「登山」も「読書」も魅力的です。
双方とも、「心」動かす素敵な「風景」を見ることができます。
 
ただ運動神経のない私には、「読書」の方がより魅力的です。
「読書」なら、誰にも負けないスピードでひょいひょい登っていくことができます。
 
そして拝める「風景」は、世界中の山を登る以上に、千差万別なのです。