「内向型」と「外向型」の再再考

私にとって、「世界」は2つあります。
 
内なる「世界」と、外の「世界」です。
 
今まで私は、
外の「世界」よりも、内なる「世界」に、興味を持っていました。
そんな私は、ユングが言うところの「内向的」な性格です。
(関連過去ブログ:「内向型」と「外向型」を再考する
 
内なる「世界」も、外の「世界」同様、広いのですよ。
内なる「世界」には、「集合無意識」というワールドワイドなエリアがありますから。
集合的無意識」とは、
人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域のことです。
ユングが、自身の分析心理学の中心概念として提唱しました。
(「集合的無意識」のウィキペディアは、こちら
 
人間の「意識」には、深さがあります。
「表層意識」から「深層意識」に向けて、深くなっていく訳です。
 
一番深いところには、上述の「集合無意識」があるのだと考えます。
 
そのように「意識」の構造を定義したとき、
「内向的」と「外向的」の説明を、より正確に行うことが可能です。
 
すなわち・・・
「内向的」な人々は、「深層意識」の方に興味を持っている。
「外向的」な人々は、「表層意識」の方に興味を持っている。
 
「外向的」な人々は、他者の「意識」に機敏です。
加えて、自身の感情等の「表層意識」にも機敏であると思われます。
 
対して「内向的」な人々は「集合的無意識」を含んだ「深層意識」側に興味が行くため、
他者に表れる「表層意識」には無頓着です。
そして私の例で言うと、自身の「表層意識」である「感情」にも興味がありません。
もっと根源の奥の方に、目が行ってしまうのです。
 
「内向的」な人々は、「集合的無意識」の方向へ興味が向かっているため、
「表層意識」が発達している人間の他者には興味が行かないものの、
「表層意識」が未発達な動物や植物には興味を寄せます。
動物や植物を見ていると、自分の中にも存在する根源を感じるのです。
 
このように考えると、私の頭の中では、
「内向的」と「外向的」の考え方の区分をすっきりと整理することができました。
 
「外向的」な人は「外的世界」に関心を向け、
「内向的」な人は「内的世界」に関心を向ける、と言われても、
今まではピンと来なかったのです。
 
「確かに自分は、他者への関心は薄いけど、
 道を歩いていて出会う動植物には、とても関心が行くんだよなぁ〜。
 だけど、その動植物って外的世界だと思うんだけど・・・。」
 
そんな疑問を、整理できました。
 
今日も私は、私の正体への「考察」を深めることができ、満足です。
さあ、仕事に行く準備をするかなぁ。