勝って兜の緒を締める。負けて「覚悟」の緒を締める。

壁にぶつかると定期的に出てくる疑問。
 
「生きる」ということは、どういうことなのか?
 
その都度、現時点の答えを出す。
究極の答えでなくても、よい。
 
壁にぶつかっている時期というのは、
今進んでいる道に違和感があるということ。
 
道に、今まで見たことのない「障害物」が出てきたのか?
まっすぐ進んでいたはずの道が、気づくと変な方向に向かっているのか?
 
「生きる」ということは、どこに向かって進んでいるのかということ。
そして、どんな歩き方をしているのか、ということ。
 
今時点の答え。
 
Q:どこに向かって進みたいのか?
A:護りたい人達を護りたい。
  自分の美学に基づいて言動したい。
 
上記の道を行く結果、失ってしまうものには目をつぶる。
全てを手に入れられる「人生」なんて、ない。
何かを求めれば、何かを失う。当たり前のこと。
 
どんな風に生きても「敵」はできる。
どうせ現れる「敵」なら、自分の行く道をふさぐ「敵」を相手にしたい。
 
Q:どんな歩き方をするのか?
A:「人生」における歩き方とは、「他者」との接し方や関わり方。
  理不尽や迷走している人には負けない。
  大切にしたい人達を、大切にする。
 
全ての人達を大切にする事なんて、できない。
どういう人達を、大切にしたいのか?
どういう人達に対して、「生きる」エネルギーを提供したいのか?
自分の望む歩き方。そのために生まれる「障害」を耐える覚悟があるか?
 
今行く道が「障害物」だらけで苦しかったら、
まず「どこに向かいたいのか」もう一度確認する。
違う方向に向かっていたら、立ち止まって方向転換。
 
そして、目的地への新たな道へ一歩を踏み出す。
「行きたいところへの道」なのだから、その道が楽な訳がない。
「歩き方」によっては、酷いダメージを負うだろう。
しかし「生きたい道」がそこにあるなら、
その手痛いダメージは、「生きる」ために耐えるべきダメージなのだろうと思う。
 
どこに向かったって、「障害」のない道なんてない。
どうせぶつかる「障害」なら、「生きたい道」の「障害」に対峙していこう。
 
向かいたい道への「覚悟」を決める。
途中逃げることもあるかもしれない。
それでも「目的地」だけは、手放してはならない。