渡り鳥のように、格好よく「逃げる」

中国拳法には、形意拳と呼ばれる武術があります。
その中に、
十二形拳と呼ばれる十二種の動物の意を表した型があるそうです。
(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、黽形拳、 鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、蛇形拳、
 鳥台形拳、鷹形拳、熊形拳)
またその他にも、カマキリの動作に着想を得た螳螂拳や、
狐と鶴の闘う様子を見て、鶴の動きを取り入れたと言われる白鶴拳、等、
中国では古来から、自然界の生命から取り入れた知恵を人の生き方に活かしてきました。
 
科学技術が発達した現代、
自然から学び取ることは古臭いことでしょうか?
私は、そんなことはないと思います。
 
なぜなら、生命には時の恩恵があるからです。
地球上の生命は40億年前に誕生したと言われています。
その40億年の間、
突然変異と過酷な自然淘汰の末、
現代に見られるような多様で豊かな生命体群にまで進化してきた訳です。
 
40億年ものトライ&エラー。
そこに、生命にとっての神秘の知恵が眠っていることは間違いありません。
 
動物の動作を取り入れた中国拳法のように、
私達現代人も、自然界から生きる知恵や戦略を学び取ることができるはずです。
 
自然界に一貫した興味を持ち続けた私は、
一つの集団に根ざして毎日仕事をする会社員には、
植物の戦略が活かせると気づきました。
無茶苦茶仕事ができる人には、樹木の戦略。
特殊技能やスキルをお持ちの人には、サボテン等の局地で生きる植物の戦略。
そんな特別なスキルや能力を持っていない人には、雑草の戦略が活かせます。
雑草は樹木のように堂々とできないかもしれませんが、
雑草は樹木にできないことをやることができますし、
彼らは彼らでとても美しい花を咲かせるのです。
 
さて、一時期ネットで話題となった小学生の詩があります。

『逃げ』
 
逃げて怒られるのは人間ぐらい
ほかの生き物たちは
本能で逃げないと生きていけないのに
どうして人は
 
「逃げてはいけない」
 
なんて答えに
たどりついたのだろう

13歳の女の子の、この洞察はすごいですね。
 
本当に、どうして人は「逃げてはいけない」なんて答えにたどりついたんだろう?
 
自然界を見渡せば、逃げないことの方が異常です。
逃げないスズメがもしいたら、なんかおかしいと思いませんか?
 
人間は自然界の王者だから逃げる必要がないんだ!と、
考える人もいるかもしれませんが、
その人間たちの集団の中でも更に王者であるならば確かに逃げる必要はないでしょう。
 
しかし、私や多くの人たちは、人間たちの集団の中で王者ではありません。
ならば、「逃げる」という選択肢は捨てるべきではないのです。
 
樹木の繁茂する森林の中で、雑草は生きることができません。
日光の量が、不足するからです。
しかし雑草は種をばらまいて、
どんどん空き地などに自分の生存する場所を移します。
機敏に生きる場所を変えることが、雑草の生きる戦略です。
 
その空き地もゆくゆくは樹木に覆われるかもしれません。
しかし、そうなったらまた新天地に移動すればよいだけです。
雑草は自分を生かせる(活かせる)場所を見つけて繁栄します。
 
今の私たちの社会は、
樹木が雑草に「そこから動くな!」と命令しているようなものです。
雑草は、日光の少ないその場所で、じっと我慢を続けます。
「逃げてはいけない」のです。
 
動けない植物を例に「逃げる」ことを説明しようとしても、
わかりにくいかもしれません。
 
渡り鳥は、まさに「移動する」=「逃げる」ことで、
生存競争を勝ち抜いてきた種族です。
キョクアジサシのように、
1年のうちに北極圏と南極圏の間を往き来する、とんでもない渡り鳥もいます。
(キョクアジサシのウィキペディアは、こちら
 
渡り鳥はなぜ渡りをするかと言うと、
簡単に言えばエサを求めるからです。
例えば、夏にシベリアで繁殖したガンやカモが秋になると、
冬を越すために日本にやってきます。
日本にずっといればよいのに?と思うかもしれませんが、
夏はシベリアの方が日本よりずっとエサが豊富なのです。
ご存知のようにシベリアは、冬の間は凍土。
エサなんて全くなくなります。
しかし、長い長い冬が終わった後、そこは生命の息吹に包まれるのです。
草や虫が、一気に地表に姿を現します。
虫なんか、人が辟易するくらい大量に出てくるようですよ。
 
そんなエサが豊富にある環境で、渡り鳥たちは繁殖をして雛を育てます。
渡り鳥は、「移動する」=「逃げる」ことで、立派にその生を謳歌しているのです。
 
さて、人間に話を戻します。
人間たちも昔から、鳥たちに憧れを持っていました。
ギリシア神話に登場するイーカロス。
日本で大流行した歌謡曲翼をください」。
 
これは、「逃げる」ことへの憧れではないかと思います。
 
私たちも、「逃げる」=「移動する」ことを、
生き方の戦略あるいは個性として、しっかりと肯定すべきです。
自分にとっての日光やエサを求めて、もっと貪欲に「移動」すべきだと思います。
 
人間は「心」の生き物です。
ですから、日光やエサだけでなく、
「心」のエネルギーを満たせる場所を探すべきだと、私は考えます。
 
他の動物が人間社会を見たら、
「なんで逃げないんだろう?」と不思議に思うかもしれません。
逃げずにじっとその場に留まり、苦しんだり、うつになったり、自殺したり。
 
「逃げる」なんて格好悪いと、社会ではよく言われます。
私から言わせれば、それは「逃げ方」が格好悪いからです。
なんの準備もせずに、切羽詰まって最後の最後に「逃げる」から格好悪い。
 
私は、「格好よく逃げる」という概念が、
この社会に登場してほしいと願っています。
 
人間の知能があれば、人は翼がなくても華麗に逃げられるはずです。