アンパンマンが嫌がること


 
アンパンマンのテーマ曲である「アンパンマンのマーチ」に、
哲学的な深い歌詞があるので、紹介します。
ちなみに、作詞はやなせたかしさんです。
 
 「なんのために生まれて、何をして生きるのか、
  答えられないなんて、そんなのは嫌だ」
 
はてさて、皆さんはこの大事な問いに答えられますか?
つまり「あなたの生きる意味は何ですか?」ということです。
 
この問いに答えられないと、
意味のわからないまま生まれて、
意味のわからないまま生き、
意味のわからないまま死ぬことになります。
私は、そんなのまっぴらごめんです。
 
もちろん、この問いに正解なんてないんだと思います。
ただし、正解は存在しなくても、各人が自分で決定して答えることはできます。
やなせさんがこの部分の歌詞を「わからないなんて、そんなのは嫌だ」ではなく、
あえて「答えられないなんて、そんなのは嫌だ」とされたのは、
外部によって与えられた目的ではなく、
自分で考えて決めた目的に従って生きようというメッセージがあるような気がします。
戦時中の日本のように「お国のために生きて死ね」と強制されるのではなく、
宗教のように「あなたは○○のために生きているのです」と
目的が最初からあるのでもなく、
あなたが自分で考えて、「これが俺(私)の生きる目的だ!」と自分で決めるのです。
 
そして、アンパンマンはこう答えました。
「僕は、困っている人を笑顔にするために生きるよ!
 この顔は、おなかをすかしている人たちに食べてもらうことができる。
 だから、おなかをすかして泣いている人を見つけたら、
 ぼくの顔を食べて元気になってもらうんだ!」
 
もしアンパンマンが、なんのために生まれてきたのか、答えられなかったら・・・
きっと彼は、何をして生きるのかという問いにも答えられません。
その場合、きっと彼はこんなことを考えるんだと思うんです。
「なんで僕の顔はアンパンなんだよ・・・。
 食パンの方が女の子にもてて、いいじゃないかよ。。。
 ああ、なんでアンパンなんかに生まれたんだよ!」
これでは、人に悩みを相談することはあっても、
人を助けるような活躍をするキャラクターには、なれないような気がします。
 
生まれた目的や意味を決めるということは、
その人の人生に絶対的な尺度を設けるということです。
独自に決めた目的や意味には、他者と比較可能な相対的な要素は全くありません。
その場合、生きるという行為は、
自分の決めた絶対的な目的・目標に向けて、ただただ前進する営みであると言えます。
 
一方、生まれた目的や生きる意味を設定しない人生では、
世界は全て相対的になってしまいます。
その場合、生きるうえでの関心は、他者よりも自分が優勢か劣勢かということ。
「なんで俺はアンパンなんだ・・」
「食パンはいいよな・・。まぁ、カレーパンよりはましだけど・・・。」
こんな考え方をしていては、満足度の高い人生を送れないような気がしませんか?
才能や環境に恵まれた万能選手ならともかく、
コンプレックスの一つや二つを持つ一般的な人が、
こんな価値観で生きていたら、ストレスでパンクしそうな気がします。
 
例えば、「勝ち組」や「負け組」という概念も相対的ですよね。
周りと比べて自分は勝っているのか?負けているのか?
「勝ち組になるために勉強や仕事を頑張ろう!」という人もいるかもしれませんが、
結局その人は何のために生きているのかよくわかりません。
そうやって生きて、結局何を成し遂げることができるのでしょう?
 
そういう訳で、生まれた目的や生きる意味を自分で決めてしまうことは、
人生を豊かにするために、とても重要なことだと私は思うのです。
生きる目的さえ決めてしまえば、
アンパンマンのように、元気100倍、勇気りんりん、な人生を送れるような気がします。
 
「なんのために生まれて、何をして生きるのか」、私はもう決めました。
苦しんでいる人を笑顔にすることです。
そのためには、アンパンマンのように強く優しくならなくてはいけません。
頑張らないと。