遺伝子(種)と命(個)の闘争


 
世界には、2つの大きな解明すべき仕組みがあります。
すなわち、
「この世界の仕組みの解明 by物理学」と
「私たち生命の仕組みの解明 by生物学」です。
 
私は、両方共に興味がありますが、
今日は生物について描きたいと思います。
 
以前、ハキリアリのことをブログで紹介しました。
アリやハチは、「真社会性」の生物と言われます。
「真社会性」についてのウィキペディアこちら
生物や雑学に興味のある方は、このウィキペディアも読まれると面白いですよ。
 
さてさて、「真社会性」とは何か。
ウィキペディアによると、
 真社会性の定義は、その動物が以下のような性質を持つことである。
 ・共同して子の保護が行われる
 ・繁殖の分業、特に不妊の個体が繁殖個体を助けること
 ・少なくとも親子二世代が共存、子の世代が巣内の労働をする程度に成長するまで共存する
 
一番大きな特徴は、不妊の個体がコロニーの維持のために利他的な行動を採ることです。
これは、人間の「社会性」とは大きく異なる性質です。
人間はさすがに平社員でも子孫は残せますから。
(今は、ワーキングプアの問題等で所得格差は婚姻率にも影響があるみたいですが)
 
話を「真社会性」に戻します。
例えば、女王アリ以外のアリは自分の子孫を残せません。
それなのに、働きアリは健気に餌をとってきたりして女王アリの世話をします。
 
人間に例えたら、会社の社長(男性)が
従業員の奥さんを全て奪って一夫多妻制をひいてしまうようなものです。
それでも、従業員は社長のために命を懸けて尽くせと言われるのです。
こんなことをしたら、確実に暴動が起きますね。
 
ではなぜ、アリやハチはそのような利他的な行動を採るのでしょうか?
その疑問に端的に答えるとしたら、遺伝子の命令と言うことになると思います。
 
動物行動学者リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」という考え方があります。
端的に説明すると、生物は遺伝子の乗り物だということです。
遺伝子は自分のコピーが世界に溢れることを目的としている非常に利己的な存在です。
自分のコピーを世界に広げるという目的のためには、個体の苦しみなど意に介しません。
というか、個体に苦しみを与えたのは遺伝子です。
遺伝子は、痛みの感覚や苦しみの感覚、それから食欲や性欲を個体に与え、
自分のコピーを増やす奴隷として、個体を使い捨てにするのです。
(個人的には、この概念は仏教に通じると考えています)
 
遺伝子の従順な奴隷である働きアリは、
女王アリや女王アリの子ども達に尽くすために生きます。
一家の遺伝子を確実に世界に広げるために。
実は、アリやハチの一家は人間の親子間や兄弟間よりも遺伝子が近いのです。
詳しい説明は省きますが、人間の親子間や兄弟間は遺伝子が同一の度合いが二分の一。
対して、アリやハチは一家の遺伝子が同一である度合いが四分の三。
働きアリの「中の人」である遺伝子は、
「自分の四分の三が世界に広がるならいいか」
「この個体の命は使い捨てにしてやろう」と考える訳です。
 
可愛そうな働きアリ。
いくら「遺伝子」が近くたって、「命」はそれぞれ別物なんですから。
一卵性双生児の人間に対して、
「コピーが一人いるんだから片方は死んでもいいよね?」と言っているようなものです。
 
しかし、「個」もやられっぱなしではありません。
人間を見ればわかるように、生物は進化して「理性」を獲得しました。
「理性」は、「遺伝子」の武器である「本能」に闘争をしかけます。
例えば、人間は「遺伝子」にそそのかされるままレイプをしません。
自分の「個」が大事なように、相手の「個」も尊重できるのです。
 
人間以外でもこんな例があります。
働きアリは、年齢に応じて仕事が変わります。
若いうちは安全な巣の中で内勤。寿命が近い老人は外で危険なハンティング。
これは、寿命が近い方を使い捨てにした方が効率的だからです。
若い個体を、外に出して死なせたらもったいないですからね。
そう、老人は遺伝子にとっては使えない個体。
しかしチンパンジーにおいては、年老いた個体が大切にされることが報告されているのです。
人間だって老人を大切にします。(しますよね?)
 
「生命」もしくは「命」は最初、
「遺伝子」に利用される可愛そうな道具でしかありませんでした。
しかし、長い年月をかけて「遺伝子」の「本能」に反逆する「理性」を獲得したのです。
実は、これが「生命」の「進化」の本当の意味だと私は考えています。
「進化」とは「遺伝子」に対する「命」のあがきなのです。