「ゼロ」

ブログを、ご無沙汰してしまいました。
随分、間が空いてしまいましたが、
また再開したいと思います。
 
さて、今日は一つ気づきがありました。
 
それは、価値観のモノサシに「ゼロ」を持つことの大切さです。
人は・・というより、特に私はそうなのですが、
物事を「相対的」に測ってしまう傾向があります。
 
何に対して「相対的」なのかというと、
「他人」に対してです。
私は、この「相対的」なモノサシに今までずっと苦しんできました。
「あの人と同じようにできなくて申し訳ない・・・」
「あの人の期待に添えなくて申し訳ない・・・」
「あの人の自分に対する態度に嫌悪が感じられるのは、自分に欠陥があるからだ・・」
 
自分の「価値」を判断するのに、私はずっと「他人」という鏡を使ってきたのです。
 
そうではない。
それじゃいけない。
根本からやり直し。
 
なぜ、「他人」を鏡に使ってしまうのかというと、
自分の価値観のモノサシに「ゼロ」がないからです。
「ゼロ」がなければ、
自分の距離は「他人」のトコロから何センチという測り方しかできない。
しかも、「プラス」何センチか「マイナス」何センチかという形で。
 
そんな測り方をしていたら、
どんな優れた人でも自分の価値のどこかに必ず「マイナス」が出てきてしまいます。
 
「自分はマイナスの存在」
こう感じるのは、本当に辛いことです。
生きる気力を剥奪します。
 「マイナスの存在なら、自分はこの世界に不要なのかもしれない」
 「死んでしまった方が、よいのでは?」
 
そうではない。
それじゃいけない。
根本からやり直し。
 
価値観のモノサシに「ゼロ」を持つとは、どういうことか。
自分がこの世界に存在していない状態が、「ゼロ」の状態です。
もし自分がいなければどうなっていたか?
そして、自分がいたことで、これだけ世界に「プラス」を「与えた」。
その「プラス」が、そのまま自分の価値となるのです。
 
 「自分がいなかったら、Aさんがその仕事をやっていたろう。
  そうしたら、Aさんの与える「プラス」と比較する必要があるのでは?」
 
私は、そうではないと思います。
なぜなら、Aさんが自分の仕事をしたら、
そのAさんのやっていた仕事は誰がやるのでしょう?
Bさんですか?
では、Bさんのやっていた仕事は?
 
物事を考えるときは、スケールを大きく観ることをオススメします。
局所的に観るよりも、そちらの方が「真」だからです。
すなわち、例えば職場というスケールで観るのではなく、
この世界というスケールで観るのです。
 
自分の存在や行動によって、世界に何かを少しでも与えることができたら「プラス」です。
「仕事で誰かの役に立つ」「笑顔で人を安心させる」「素敵な作品で誰かが感動する」
 
どうでしょうか?
誰でも「この世界に生まれること」は、世界に間違いなく「プラス」であると私は考えます。
私やあなたは、世界にとってかけがえのない存在なのです。
「ようこそ、この世界へ!待っていました!」
 
「他人」を鏡にして、自分を「マイナス」に観てしまうと、
自分の行動も萎縮してしまいます。
せっかく世界に「プラス」のことをやっていても、
自分の行動、すなわち自分の人生から「意味」が喪失してしまう。
 
自分の心に「ゼロ」という鏡を持ちましょう。
私やあなたは、世界にとって「プラス」の存在。
私やあなたの行動や存在が、世界に「プラス」となることを噛み締めて。
例え、才能がなくても恥じる必要はありません。
世界にとって、「プラス」であればよい。
胸を張って生きていきましょう。
 
西郷隆盛さんの言葉「敬天愛人」。
己の鏡を天に置き、人を愛する。
「人」ではなく「天(世界)」に鏡を置けば、
西郷さんのような偉業も成し遂げられるかもしれませんね。
そう。世界に鏡を置けば、人は強くなれるはず。
 
ところで、私は「ゼロ」というと思い出す唄があります。
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」のテーマ曲「いつも何度でも」。
 
 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ
 
 
人は誰でも、最後に「ゼロ」となります。
生きている不思議を感じませんか?
例え生きているうちに、多くのかなしみにぶつかっても、たくさんのあやまちを繰り返しても、
「ゼロ」の地平から空を見上げれば、きっと「天」は私やあなたを優しく見守っている。
そして「ゼロ」の視点で見つめると、
きっと「他者」や「世界」を優しく両手で抱くことができる。