「幸せ」探検記

最近、規則正しい生活によって、もたらされる「幸せ」の味を知りました。
1日の中で「やるぞ」と決めたことを見事達成できると、
その日の終わりには「幸せ」を噛み締めることが可能です。
 
新たな「幸せ」を知り、
「遺伝子(本能)」に逆らって得られる「幸せ」が2種類あることに気付きました。
2種類とは、以下の「ライフ・マトリクス」に対応した「幸せ」です。
 

 
横軸を実現することで得られる「幸せ」が、「与える幸せ」となります。
そして、縦軸を実現することで得られる「幸せ」が、「努力の幸せ」です。
 
私は元々、上記の「ライフ・マトリクス」の「3」の領域の人間なので、
今まで「与える幸せ」を贔屓にしていたのですが、
縦軸の「努力の幸せ」も、なかなか捨てがたい味だなと実感しています。
やはり、人が目指すべきは「4」の領域なのでしょう。
 
人間は、皆「1」の領域からスタートします。
赤ん坊や子どもの時期ですね。
実は、「1」には「1」の「幸せ」があります。
「与えられる幸せ(横軸)」と「逃避の幸せ(縦軸)」です。
子どもの時には、親から何でも「与え」られます。
そして、嫌なことからは、泣いて「逃げる」ことが可能です。
 
しかし、大人になったら、多くの人はどちらの「幸せ」も失ってしまいます。
そして、「不幸」が始まるのです。
縦軸と横軸のシフトチェンジをしなければなりません。
どちらを先にシフトチェンジするかは、人それぞれでしょう。
ただし、両方の軸を満たさないと持続的な真の「幸せ」には辿り着けません。
 
他者に「与える」ことができない人は、
自分を「特別視」したままの状態で止まっています。
自分は「特別」なので、自分の「感情」で人を傷つけることも平気です。
こういった状態では、
「努力」して自分に力がつけばつくほど慢心し、
他者との「感情」の闘いは、更に激しくなっていきます。
そして、見下している人間の生意気な行動にもストレスを募らせるのです。
せっかく「努力」しているのに、
自分への「特別視」を辞めなければ「幸せ」になることはできません。
「与える」ことのできない人は、「人」との摩擦で「不幸」になる訳です。
 
また、「努力」できない人は、
言うまでもなく「世界」の中で居場所を失い「不幸」になっていきます。
「与える」視点を持っているならば、
あらゆる「人」を「特別視」することが可能となり、
「人」からストレスを受けることは、あまりないでしょう。
しかし「努力」できない場合、「与える」源泉を確保できないので、
結局不甲斐ない自分を責め、ストレスを慢性的に蓄積することとなります。
他者を「特別」に感じすぎて、自分を「無価値」と評価する人も多いです。
このような状態から「幸せ」を掴むには、
「逃避」を諦め、「闘いのリング」に上がる必要があります。
「努力」することのできない人は、「世界」との摩擦で「不幸」になる訳です。
 
と言う訳で、私は「ライフ・マトリクス」の「4」の領域を目指します。
きっと、そこに「幸せの青い鳥」がいるはずです。
 
今後も、このブログでは、「4」の領域への探検記を綴っていきます。
もしこのブログを読んで頂いている方の中に、
「青い鳥」の居場所を探している方がいらっしゃいましたら、
一緒に「4」の領域を見に行きませんか?
 

  
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