「働く」の「本質」

「働く」ことで悩んでいる方は、多いのではないでしょうか。
そういう方には是非、
自分にとっての「働く」ことの「本質」を模索されることをオススメします。
「本質」を見出して始めて、「心」から納得のいく「方策」を立てられるのです。
 
ここから先は、私個人の考える「本質」のお話をします。
皆さんには、皆さんそれぞれにとっての「本質」が存在するはずです。
一つの参考として、私の思い至った「本質」をご紹介しようと思います。
 
さて「働く」ことで、あなたは何を「提供」し、何を「享受」していますか?
まず「提供」しているものから考えてみたいと思います。
「時間」ですか?
確かに多くの大切な「時間」を費やしていると思います。
でも、もちろん「提供」しているのは、これだけではないはずです。
後は、「体」と「心」。
「働く」ことで、「体」は疲労し、「心」は摩耗していきます。
「働く」ことの「本質」を知るために、
まずは「提供」しているものの重みをしっかりと認識すべきです。
大事なのは、
「時間」も「体」も「心」も、人によってその重みが全く異なるということ。
例えば、「子ども」への愛情が深く、
子どもと一緒に遊んであげる「時間」が欲しいと考えている人にとっての「時間」は、
他と比べて提供する「時間」の重みはずっしりとしたものになるでしょう。
しっかりと、自分にとってはどうなのか?自分に自問自答する必要があると思います。
 
さて、それに見合うと認識できる「享受」がなければ、
あなたは「働く」ことで「不幸」になっています。
 
会社の損益計算書と一緒です。
「享受」−「提供」=「働くことの幸せ」であり、
この式の収支がマイナスの「赤字」であれば、
「働く」ことは「幸せ」の足をひっぱっていることになります。
その場合、「仕事」以外の時間で「幸せ」の「黒字」となる要素があればよいのですが・・・
 
では、「働く」ことで「享受」しているものは何か?
まずは「給料」。
基本ですね。「給料」がなければ生きていけない。
ここで大事なのは、あなたにとって「給料」の重みがどの程度かということ。
「給料」は、「お金」という数字で表現されますが、
その人の「価値観」や「背負っているもの」によって、
その「重さ」は異なります。
例えば、あなたはどんな「人生」を送ることを希望しているのですか?
いわゆる「人並み」と言われる「お金」のかかる「人生」を希望する人もいれば、
「お金」のかからない「人生」でも「幸せ」に生きられる算段がある人もいます。
あなたにとって、「お金」はどのくらい重いですか?
 
また私の考えでは、「働く」ことで「享受」しているものは、他にもあります。
それが「信」です。
「会社」や「お客様」から「信頼」をされることは、
「幸せ」に大きく寄与するものと思われます。
なぜなら、あなたのレーゾンデートル(存在理由)を構築することができるから。
人はパンのみに生きるにあらず。
「私はここにいていいんだ」「私は必要とされている」という充足感は、
「心」の大きな「糧」となります。
 
想像してみて下さい。
自分が全く必要とされていない「組織」で「働く」ことの「心」の「満たされなさ」を。

そして、「信」について大切なことが一つあります。
「信」という「心」の「糧」を摂取することで、
人は「人間的成長」を促進するができるのです。
 
このように、「働く」ことで得られるものは
「給料(お金)」と「信」であると私は考えます。
さて、あなたの今の職場の「(信+お金)の享受−(時間+体+心)の提供」は、
ちゃんと「黒字」になっていますか?
特に、しっかりと「信」の評価をして下さい。
「信」がゼロもしくはマイナスの職場にいては、
「幸せ」に働くことができないと私は思います。
「給料」という目に見えるものと違って、
価値を把握しづらいですが「信」は非常に重要です。
「信」の質が劣悪であれば場合によっては、
転職を考えてもいいのではないかと思います。
 
ところで、上記の「(時間+体+心)の提供」は、
一括りにして「貢献」と表現することも可能です。
上記の式を「貢献」で置き直すと、「(信+お金)の享受−「貢献」」となります。
 
これは、「個人」だけでなく、働く個人が集合する「会社」にも適用できる
世の中の「働く」ことの本質を表わす式になると考える次第です。
 
すなわち、「会社」も「社会」に「貢献」して、
「社会」から「信」と「お金」を得るのは、一従業員と同じ構図だと考えています。
「個人」も「会社」に「貢献」して、「会社」から「信」と「お金」を得る。
 
ところで、
「会社」も「個人」も「働く」ことで得られるものは「信」と「お金」の2つですが、
私は「信」の重要度に注目したいと考えています。
先にも描きましたが、「信」で「人間的成長」ができるからです。
「人間的成長」は「幸せ」に直結します。
「信」を多く受けた「会社」や「個人」は、「幸せ」を生み出す力を増していくのです。
 
ですので、「貢献」を通じて「信」を得ることが、
「働く」ことの「本質」だと私は考えます。
「お金」は後からついてくるのです。
 
福井県永平寺をご存じでしょうか?
最も修行の厳しいお寺とされ、よくテレビでも紹介されます。
彼らのやる修行は例えば、廊下のぞうきんがけです。
本当に「心」をこめてぞうきんがけをされているので、
観光客が訪れるほど廊下はピカピカとなっています。
 
私は、これが「貢献」の修行となっていると考えます。
究極の「貢献」とは、「報酬」や「人からの感謝」などの全くない「貢献」。
しかし、この自分が綺麗にふいた廊下がいつか誰かを喜ばせるという、
見えない部分も含めて「信」を感じ取る力を磨くことが
「人生」の「幸せ」につながると考えます。
すなわち、「信」を最大化するような「貢献」を目指すこと。
これこそが「働く」ことの「本質」であり、
強いては「生きる」ことの「本質」だと考える次第です。
 
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