「銀河鉄道999」
「銀河鉄道999」
この作品を知らない人はいないと思いますが、
松本零士さんの独創的なSF漫画作品です。
私は子どもの頃このアニメを観て育ちました。
(「銀河鉄道999」のウィキペディアはこちら)
未来の世界、
主人公の少年「鉄郎」が謎の美女「メーテル」と共に、
機械の体をタダでくれるアンドロメダ星雲の星を目指して、
「銀河鉄道999」という宇宙を走る列車に乗って旅をするお話です。
目的の星への途上、「銀河鉄道999」は様々な星に停車して、
「鉄郎」と「メーテル」は様々な「世界」を体験します。
私が昔、「子ども心」にとても楽しく観ていたのは、
様々な未知の「世界」を冒険するというワクワク感があったからです。
後は、ほんのちょっぴり、
先導者「メーテル」と共に旅をするという被保護の安心感があったからだと思います。
ちょうどこの年頃、子どもの私も「鉄郎」と同様に、
未知のこの現実「世界」を少しずつ知っていった時期です。
さて、この「銀河鉄道999」の最終回には、大どんでん返しが用意されています。
機械の体がもらえると信じて辿り着いた終点の惑星で、
「鉄郎」はその惑星の部品である「ネジ」にされそうになるのです。
「鉄郎」は騙されていました。
そしてあろうことか謎の美女「メーテル」の役割は、
惑星の部品として様々な少年を連れてくることだったのです。
しかし、「鉄郎」はその「運命」を乗り越えて、
共に苦難の旅をしてきた「メーテル」と共に「機械の惑星」を破壊して終劇となります。
「子ども心」には、「ああ、よかった」で終わった話ですが、
大人になった今、振り返って考えると、「とても深い」ストーリーです。
多くの人が気づいていると思いますが、
この「銀河鉄道999」は、
少年が様々な「世界」を体験して、最後は「社会」の「ネジ」になるという現実を、
ベースにして創られています。
私も含め多くの人が、魅力的な「メーテル」という「常識」に、
「こっちに行った方がいいわよ」と耳打ちされて、
ふらふらと「機械の惑星」に連れられて、まんまと「社会」の「ネジ」になってしまう。
子どもの頃の無限の素敵な「夢」は、
終点の惑星で「おまえはネジになるのだ」と言われ、捨て去られてしまう。
確かに、大人になったら「社会」の役に立つことが使命です。
しかし、それだけですか?
「鉄郎」が様々な「星」を旅をしたように、
私達が子どもの頃に垣間見た様々なワクワクする「世界」。
「機械の惑星」で「ネジ」なって諦めて生きるのもいいかもしれませんが、
時には「機械の惑星」を脱出しませんか?
子どもの頃のように旅を再開して、
まだまだ行ったことのない「世界」を体験するのも悪くないと思います。
ネジになった「大人」の皆さんへ。
時には「メーテル」と一緒に、またこのわくわくする「世界」を探検しませんか?