「人生」の「エネルギー」

さて、今日は「生きる」ための「エネルギー」について描きたいと思います。
「エネルギー」と言っても、カロリー等の「体」の「エネルギー」ではなく、
「心」が「生きる」ための「エネルギー」の方です。
 
前回のブログでお話ししたとおり、
私は「人生」の「本質」を「苦」と考えています。
これは、「仏教」の「一切皆苦」の考え方に準じたものです。
「人生」の「本質」が「苦」であるならば、
「人生」の「意味」や「目的」が自ずと見えてきます。
それは、「苦」と対極の位置にある「幸せ」を目指すことなのです。
 
そしておそらく、この「幸せ」を得るために思考・実行する過程に、
この世の大いなる「宝」が眠っています。
漫画「ワンピース」で主人公達が目指す「宝」のように、
その「宝」はきっとワクワクするような涙が出るほど神秘的な「お宝」だと思うのです。
 
ところで「人生」の「意味」や「目的」が「幸せ」だとわかったとして、
「幸せ」とは何か?という根本の「問い」を考える必要があります。
この「人生」の最大の「謎」は、非常に深くて難しい「問い」です。
私は、自分なりにその「解答」を「考察」してきました。
ここでは詳しくは描きませんが、
私の現時点の「解答」は、「欲望」や「本能」から解放されることです。
そして、「与える」ことです。
 
しかし、上記の「解答」だけでは「幸せ」になれないと、私は最近気づきました。
ハードな仕事が続き、私はある時「心」の「ガス欠」のような状態になってしまったのです。
休日に会社に行かないと仕事が間に合わないのに、
会社に行けない、行ってもなかなか仕事に着手できない。
「心」の「踏ん張り」が利かないのです。
 
そんな中、ある日私は引っ越しをしました。
その際に、私の両親と弟と妹が引っ越しを手伝ってくれたのです。
私はこの体験から気づきました。「無償の愛」の価値を。
世の中には「損得」ありの人間関係はゴロゴロ存在します。
私の仕事のコンサルタントにおける私とお客様の関係もそうです。
また、会社における会社と社員の関係もそうでしょう。
 
もちろん、
「損得」ありの関係から「無償の愛」にバージョンアップすることもあるでしょうが、
「無償の愛」は稀少な存在であり、
なかなか限られた「人生」の中で出会う機会は少ないと言えます。
 
「無償の愛」とは、「do動詞」でなく「be動詞」です。
「何かをしてくれるから大切にしてくれる」のでなく、
「あなたがあなただから大切にしてくれる」そんな関係性と言えます。
 
この「無償の愛」こそが、「心」の「エネルギー」になると私は見ているのです。
事実私は、引っ越しを家族総出で手伝ってもらって、
仕事だけの毎日で枯れ果てた何かが補給されたように感じました。
 
ホリエモンは「お金で買えないものなど無い」と言っていましたが、
この「無償の愛」だけは「お金」で買えないと思いますよ。
そして、「お金」で買える何ものよりも、
この「無償の愛」こそが「人生」の中で最も重要な「幸せ」のピースなのです。
 
それから、もう一つ「心」の「エネルギー」となる存在があります。
それは「無疑の信」です。
私には小さな甥っ子がいるのですが、その子が私にとても懐いてくれています。
その子と一緒にいる時にも、私の「心」が潤うことを感じるのです。
 
こういったことを鑑みるに、
「欲望」等の「障害」のない「心」の交流こそが「生きる」エネルギーだと、
私は考えるのです。
ですから、例えば「物欲」や「色欲」等の「欲望」だけに基づく「愛」は、
「心」の糧にはならず疲弊するだけだと、私は思います。
 
今までの私は、厭世者でした。
理不尽で欲望だらけの「世界」に見切りをつけ、一人で「幸せ」の道を模索していました。
自身の「欲望」を殺し、困っている人達に「与える」ことが、
「幸せ」になる道と考え、実際に「常識」に囚われず「与える」こともしてきたのです。
「仏教」の教えのように、「無常」である他者の存在などに頼らず、
一人で「幸せ」になろうとしていました。
 
しかし、前に描いたように、私は「心」の「ガス欠」となってしまいます。
ただ、そうして初めて見ることができたのです。
「心」の「エネルギー」が何かということを。
 
「欲望」等の「障害」のない「心」の「直通」こそが、「心」の「エネルギー」です。
「体」の「エネルギー」である食料は、他の生命から「頂か」なければなりません。
「心」も同様に、結局「他者」から「頂か」ないと、「ガス欠」になってしまう。
 
 一人では、生きていけない。
 
「心」の「直通」は、「つながり」と言い換えることができると思います。
 
さてさて、「心」の「直通」を持つにはどうしたらよいのでしょうか?
「家族」を持ってしっかりと「愛」を通わせるのが一番だと思いますが、
私も含めて独身の人達が増えている時代です。
「家族」という強力なサポートがなくても、
「縁」のある人々の中から「心」の「直通」を得る方法を
しっかりと「考察」する必要があります。
 
さあ、これからの私の「人生」を使って、そこのところを考えていきましょう。
私や、「縁」あってこのブログを見て頂いているあなたが「幸せ」になるために。
 
 「有限」の「モノ」を奪い合う「苦しみ」の時代は終幕し、
 「無限」の「心」を分かち合う「幸せ」の時代の幕が開きます。