「敵」をつくりやすい人

今日は、「敵」をつくりやすい人のお話。
 
特定タイプの人々を中傷するというような「傲慢」な意図はなく、
「愛」をもって描き進めたいと思います。
 
まず描きたいのが、「敵」についての定義。
「敵」には、以下の3種類があるかと思います。
(1)立場的な「敵」
 例えば、戦争の際の相手兵士のような、顔も名前も知らない「敵」
 相手の人格とは無関係に、自身の属する立場によって「敵」とする場合。
(2)利害対立の「敵」
 農家と害虫のような、肉食獣と獲物のような、
 自身の「利」が、他者の「害」になるような関係。
 例えば、詐欺師を職業としている人がいたら、その人は世界中が「敵」だらけです。
(3)感情の「敵」
 「シャドウ」が原因となる「敵」です。
 この場合、必ずどちらかに原因の「シャドウ」が存在します。
 自分の中の「シャドウ」が暴れて、他者を「敵」認定する場合。
 他者の「シャドウ」が暴れて、自分を「敵」認定する場合。
 
「シャドウ」とは、自身の「心」に存在する禁止された人格です。
自身が必死に禁止しているのに、相手が平気でその行為を行うと、
相手の人格を消滅させる勢いで、相手を嫌悪します。
心理学者ユングの提唱した心の元型です。
ご興味のある方は、過去ブログ「シャドウにご用心」をご覧下さい。
 
このように見ていくと、「敵」がいない「人」なんて、この「世界」に存在しません。
生きているのなら、「敵」は必ず生まれるのです。
 
ただ生きている以上避けられない存在であるのなら、
「敵」をつくることの「意義」は各人熟慮する必要があります。
なぜなら、「敵」は確実にあなたの「人生」の「幸せ」に影響を与えてきますから。
「敵」は、生きていたら必ず発生する自身にとって「癌細胞」のような存在です。
自ら「敵」をたくさんつくっていけば、
「癌細胞」は「悪口」等を使って他の細胞も巻き込んで転移して、
どんどん「増殖」していきます。
多くの「敵」を抱える人は、
はたしてそういった「癌細胞」に「幸せ」を脅かされないでやっていけるのか?
 
それぞれ、パターン別に「敵」の「意義」を考えていきましょう。
(1)立場的な「敵」
 例えば、日本とどこかの国で戦争が起きたとしましょう。
 そして、私が徴兵されたとします。
 その場合、私は戦いたくなくても戦わざるを得ないでしょう。
 反戦を訴えてもいいかもしれませんが、この場合日本政府が「敵」となります。
 所与の環境によっては、
 自身の「人格」や「責任」とは関わりなく「敵」が生まれるのです。
 若い方が癌になり、急速に全身に転移して命を落としてしまうような、
 事故のような状況だと思います。
(2)利害対立の「敵」
 これは「生き方」を変えれば、あるいは「敵」の発生を抑えられるかもしれません。
 ただし、生きている以上必ず利害関係は発生するものです。
 例えば、私が昨日の夜に食べた豚肉。
 当然にして私は、この豚本人や豚の親に、「敵」として憎まれていることでしょう。
 この「敵」の発生は、「生きる」と決めた以上避けられません。
 ただ、どれだけ相手の「痛み」を想い知って「生きる」ことができるのか?
 相手の「痛み」を「共感」「共有」しようとすれば、
 自ずと「生き方」は変わってくると思います。
 繰り返しますが、
 「敵」という存在は「癌細胞」のように自身の「心」と「幸せ」を浸食する存在です。
 このタイプの「敵」の毒性を不活性化する「思いやり」の「生き方」は、
 免疫力の高い健康的な「生き方」なのだと思います。
(3)感情の「敵」
 上記の(1)と(2)は、避けられない「敵」です。
 生きている以上、どうしてもこの「癌細胞」は発生します。
 しかし、この(3)の「シャドウ」に基づいて発生する「癌細胞」だけは、
 自身がそう願えば、発生を抑えることができるのです。
 この「癌細胞」は、
 自身が「合成着色料」を好んで採るような不健康なライフスタイルで発生します。
 「合成着色料」に「発癌性」があることを知って、
 この「癌細胞」の発生を食い止めることもできるのです。
 そのためには、「シャドウ」の概念を知ることが重要。
 自身の中の「シャドウ」の暴れを感じ、
 これは「シャドウ」を原因とした「心」の揺れだと、客観的に捉える。
 もしくは、相手の理解不能な理不尽な悪意ある行動の裏に潜む「シャドウ」を想像し、
 相手の言動を客観的に捉える。
 
「敵」とは、本当に恐ろしい存在です。
そのことは、最初に入った会社で先輩からのイジメに会い3年間苦しみ、
ついには会社を辞めた経験から、身にしみて味わいました。
「シャドウ」による「悪意」のパワーは、「利害」や「立場」をも凌ぐのです。
相手の発した「憎しみ」の熱量。
私の発した「憎しみ」の熱量。
 
感情で「敵」をつくると、相当の「悪意」のパワーが蓄積します。
直接「敵」から「悪意」のカウンター攻撃がない場合でも、
このパワーは本人の環境に必ず強いネガティブな影響をもたらすでしょう。
 
実は相手の「シャドウ」を知ることの大前提として、
踏まえるべき価値観があります。
それは、相手を自身と同じ価値の「生命」であると認識すること。
どんなに偉かろうが、
どんなに努力をしてきた人間であろうが、
どんなに才能にあふれようが、
全ての「生命」が同価値であると認識できないと、世界は「敵」だらけになります。
そんな「世界」が本当に「幸せ」なのか?
よくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 
全ての「生命」はこの「世界」に生まれ、
自分と同じように等しく「一生懸命」に生きている。
その「一生懸命」の「美しさ」や「暖かさ」を感じることができれば、
「敵」など存在しない
「極楽」のような「世界」を創造することも可能なのだと想う次第です。