それで「幸せ」

日頃から支えて励ましている人から、今日メールが来た。
お礼のメールだった。
 
その人の「苦しみ」を少しでも癒し、
「生きる」気力を少しでも持ってもらったのなら、
これに勝る「幸せ」はない。
 
今日、職場で「ありがとう」の言葉をたくさん頂いた。
それから、帰りのコンビニで見知らぬおじさんが「ありがとう」って言葉をかけてくれた。
 
ああ、なんて自分は「幸せ」なんだろう。
 
困っている誰かが「笑顔」になると、本当に嬉しくなる。
苦しんでいる誰かが助かると、涙が出るほど「幸せ」になる。
 
 
私は「幸せ者」だ。
 
人を傷つけることに「喜び」を覚えない私は「幸せ者」だ。
有限の「モノ」を追わない私には、「幸せ」の枯渇は存在しない。
私の活動の全てが、人を「幸せ」にすることにつながることを実感する。
すなわち「生きる」ことそのものが「幸せ」なのである。
 
 
私の「心」が成長する。
 
体の成長が止まっても、「心」の成長はますます加速する。
様々な人と触れ合い励まし合い助け合い、日々「心」は共鳴する。
「心」を止めるな。さもなくば、「心」は冷えて固まる。
「心」を耕せ。そうすれば、「心」は熱く躍動する。
 
 
「心」が成長すると、本当の「幸せ」が見えてくる。
 
「幸せ」になりたいのなら、「心」を成長させること。
「心」を成長させるためには、人との「心」の交流が必要。
相手を傷つける「心」の交流は、「心」を冷やし固めてしまう。
相手を想い助ける「心」の交流にのみ、「心」温まる「感動」が存在するのだ。
 
 
あなたの「生命」の「炎」は温かく燃えているか?
 
その「炎」は、マッチ売りの少女のマッチの「炎」のように、
「モノ」によって冷え切った極寒の「世界」にあって、
涙が出るほど温かいものを「人」の「心」に灯す。
 
マッチ売りの少女は、マッチの売上金では救われない。
売上金は父親に取り上げられてしまうから。
いくら「モノ」があっても救われない私達を本当に救うのは、
「心」に届く温かい「炎」だけ。