死んだ飼い犬に助けられた話

私の最も苦しい1日のパターン。
それは、家で何かをしなければならない時に、
「明日の朝早く起きて、やろう」とその日は寝てしまい、
しかし翌朝に目覚まし時計で起きても、
結局起き上がれずいつもの出勤の時間になってしまうこと。
 
「やることがあるのに今寝てしまったら、翌朝に何かやろうしてもダメだ・・・」
 
毎回そう思うのですが、
愚かなほどに同じパターンを繰り返し苦しんでいます。
 
その日も、目覚まし時計を午前4時にセットしたのですが
目覚ましのベルが鳴っても起床できませんでした。
「起きなきゃ」「起きなきゃ」とグダグダして結局二度寝
 
その時、昔飼っていた犬の夢を見ました。
とてもとても愛情を交わしていた犬です。
夢の中では、昔のあの頃のように「心」がつながり、
何とも言えない気持ちが私の「心」に満ちました。
 
その夢を見た後に目を覚ました私は、
なんとパッと起きて、
やらなければならない仕事を「苦」もなく始めることができたのです。
 
「助かった・・・」
仕事をやりながら、私はしみじみ思いました。
私の「心」に広がったのは、犬への感謝の気持ちです。
なにしろその仕事は、本当にやらなければならない仕事だったのですから。
 
それにしてもなぜ、今回に限って私は起きようという「気力」を持つことができたのか?
 
私は、後でそのことを「考察」しました。
これを考えることが、私の「幸せ」への「扉」を開くことにつながるはずです。
そして今回の「体験」や「考察」は、
同じような「苦しみ」を抱える人達にも何らかのヒントを提供できるかもしれない。
 
思い至った答えは、こうです。
 
「気力」は、他の「生命」とのつながりによって湧き上がるものである。
 
その日の「夢」の中で、犬を抱っこしていた私は犬を落としそうになりました。
必死に落とさないようにしたのですが、犬は床に落ちてしまい、
私は慌てて犬を再び抱っこして、犬に怪我がないかどうかを確かめたのです。
 
この時の、衝動的に強く湧き上がる「気力」「行動力」。
犬に「愛情」を持っているからこそ、犬を心配し犬を抱きしめるのです。
 
例えば「母は強し」と言いますが、
自分の子どもへのある意味ドーピングのごとく湧き出る「気力」「行動力」というものは、
本当に反則級に強いものだと思います。
多分、普段ぐうたらしている女性でも、
母親になったら湧き出る特別なエネルギー機構があるはずなのです。
 
阪神大震災東日本大震災の時の、ボランティアの活躍、世界中からの励まし。
それから、賛否両論ありますが、イルカやクジラへの漁を反対する人達の行動力。
これらも全て、他の「生命」のためにエネルギーが湧き出ています。
 
それから、日記はいつも三日坊主で終わってしまう私が、
細々ながらも3年間にわたってブログを描き続けているのも、
読んで頂いている誰かの「幸せ」の一助になればとの想いが
私に「気力」をもたらしてくれるのです。
何も成し遂げられない無能な人間だと思っていた私に、
ブログは、自信や生きる意味、生きたいという気持ちを、私にもたらしてくれました。
 
私は「欲」が薄く、自分のためには頑張れない人間です。
そういう人にとっては、「生きる」ことは難儀だと思います。
「資本主義」の社会において推奨されるのは、自分のために努力することなのですから。
そういう意味では、
努力しても身分によって越えられない壁のある
封建制度」や「カースト制度」の方が、「欲」が薄い人には生きやすいかもしれない。
「資本主義」社会よりもそういう古臭い社会の方が、
他者のために「行動」することが推奨されるだろうなと私は考える次第です。
 
例えば、インドの「カースト制度」では、
現世の身分は前世の行い(カルマ)によって決まるとされています。
だから現世では、身分の低い人も身分の高い人も、「善行」を行おうとするのです。
結果としてその「善行」が「生きる気力」を生み出し、人々は「幸せ」を実感できる。
 
まあそういう訳で、「資本主義」社会に生きているにも関わらず、
私のように自分のために頑張れない人は、
「心」を通わすことのできる他の「生命」を見つけるべきなのかもしれません。
 
家族を持つことが一番の特効薬でしょうが、
あいにく配偶者を持たない人々が増えています。私のように。
そうした場合にはペットを飼うのがよいのでしょうが、
一人暮らしだったらペットも飼えませんよね。
 
割と真剣にどうしたらいいのだろう?と思う訳です。
「結婚をしよう」とか安直な答えを言うつもりはありません。
この「孤独」な「資本主義」社会において、
家族を持たない人々も「幸せ」になれる方法を私はこのブログで考えたいのです。
 
「職場の皆のために頑張ろう」という答えもいい線を行っていると思いますが、
「家族」や「ペット」ほどの深い「心」のつながりを持つことはできません。
「心」から「助けたい」「護りたい」と思える存在を
どうやって見つければよいのでしょうか。
 
もし時間に余裕があれば、
「ボランティア」に行くのは結構「幸せ」に直結することだと思います。
脅しや強制でなく、自らの「心」で動く心地よさと充実感。
 
でもやっぱり時間に余裕がないのなら、
やっぱり「職場」に活路を見出すしかないかもしれませんね。
「職場」において、「欲」で動かず、「心」で動く。
「欲」で動けば「心」のつながりは絶たれます。
「心」で動いて「心」のつながりを強化することで、
働く「気力」が湧き出てくるはずです。職場のメンバーのために。お客様のために。
ただこの場合、家に帰ったら「無気力」に戻ってしまい「不幸」になる恐れがあります。
 
家にも、他の「生命」がいればいいのでしょうが、
犬や猫等のペットは一人暮らしだと飼うことが不可能です。
そうしたら、魚や植物を家に置くのもいいかもしれません。
もちろん、犬や猫ほどには「心」を通わすことはできませんが、
それでも全くの孤独よりはいいのかもしれません。
 
早速今度、
「心」を通わせることができる「生命」を買ってこようかなと思っている次第です。
まずは実験して報告したいと思います。