「自立」「自律」「ストイック」

しばらくぶりに「ブログ」を描き始めると、
「表現」することの楽しさに「心」魅了されます。
 
「表現」された「私」の「言葉」は、
まるで「私」の「子供」のよう。
 
描いた「ブログ」を読み返す「私」の視線は、「親」の視線。
「子供」を慈しむように、その素敵な「生きる輝き」に目を細めます。
私の「子供」は、とても「一生懸命」生きているし、何よりとても「優しい」。
 
いつか、「小説」も再開したいな。
今なら、きっと「優しい小説」が描けるはず。
 
 
さて、今回私は「心」の中の「親子」の話をしたいと思います。
 
私は気づきました。
自分の「心」の中に「親子」がいることに。
 
心理学の世界では、最も根源的な人と人との関係性は「親子関係」だと言われています。
全ての関係性は、「親子関係」に集約されるのです。
 
しかし、自分と他者の関係性だけでなく、
自分と自分の関係性においても「親子関係」が存在すると、私は気づきました。
「心」の中には、2つのパーソナリティが存在する訳です。
 
 
そして・・・私の「心」の中の「親」は、私の「心」の中の「子」を、
ずっと「ネグレクト(無視)」してきました。
 
「やらせたい放題」「甘やかし放題」。
その「子」の将来を想って、
その「子」を諭したり、叱ったりすることはありませんでした。
 
 「無関心」
 
そう、ずっと「無関心」でした。
 
「自分を愛する」ということは、過去の「ブログ」でもテーマにしてきましたが、
どうすればそれが可能になるのか、いまいち私にはピンと来ていませんでした。
 
だけど、ようやくわかったような気がします。
「心」の中の「親」に焦点を当てればよいのです。
 
「心」の中の「親」は、ちゃんと「心」の中の「子」を愛しているのか?
まずは、そこから確認です。
 
もしかしたら、実際の親子関係でもらった「愛」が歪だったりしたら、
自分の「心」の中の「親」も、ちゃんと「心」の中の「子」を愛せないかもしれない。
 
「心」の中の「親」は、ちゃんと「心」の中の「子」を愛しているのか?
 
 
「心」の中の「親」を認識した私は、
「心」の中の「子」を「自立」させたいと想います。
 
自分を無理させるためでなく、
自分をこの厳しい現実世界で生きていかせるために、
「子」を叱り、諭して、そして「愛」して、私はこの「子」を救います。
厳しい「愛のムチ」だけど、本当にこの「子」を愛すなら。
 
「ストイック」に「自律」して「自立」して。
私は、この「子」をきっと「強い子」に育てます。
 
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない
 
「ストイック」に「自律」して「自立」して。
まずは、しっかりとこの大地に「根」を張っていきたいと想います。
そうして、
通りかかる人の「心」に「安らぎ」や「幸せ」を与える、「優しい」花を咲かせます。