「世界」の「本質」の「紐解き」(その7)

1月5日(月)に描いたブログ(「ルサンチマン」と「真善美」)に
流鑚識眞さんという方からコメントを頂き、
非常に興味深い内容であったため、複数回に分けて読み解いています。
今日は最終回です。
 
それでは、第7回目スタート。
 

《抑止力, 育維》



【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する,

またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。

育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え,

また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。

すなわち愛育である。





【維】とは生存維持。

優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても,

その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。

移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。

組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく

人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。





真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが,

育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
 
今まで見てきた「真善美」の抑止力として、「育」と「維」を挙げているようです。
先に、最後の文章を見てみましょう。
真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが、

育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
 
真善美は、確かに「組織」の視点でなく、「個人」の視点でした。
「個人」のみに焦点をあてたミクロな観点では、
結局個々の取り組みにバラツキが出て、「幸福的弱者」が発生してしまいます。
 
自分一人が「幸せ」でも周りに「不幸」な人がいたら、
「真善美」を追求する人なら、自分だけ「幸せ」を感じることは不可能です。
 
結局は、
自分の周り(「家族」「職場」「社会」「国家」)の「幸せ」に
貢献しているような状態になっていないと、
「真善美」に基づいた「幸せ」は訪れないと思います。
 
そういった時に、「育」や「維」の観点が必要となってくるのでしょう。
読んでもらうとわかりますが、
「育」と「維」の対象は単なる「個人」ではなく、
集団を引っ張る立場の人としての心得になっています。
集団の規模は「家族」「職場」「社会」「国家」と様々でしょう。
 
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する、

またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。

育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念、価値を乗り越え、

また技能の差を克服し、個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。

すなわち愛育である。
 
「生命」個々には、悲しいかな持って生まれた資質や生まれ育った環境にバラツキがあります。
いくら個々が「真善美」を追求しても、どうしても「格差」が生じるようにできているのです。
では「格差」への処方箋は何か?
それは「一体感」です。
 
「一体感」は、学校教育や職場研修でスキルの差を埋めるための取り組みを行うと共に、
個人が組織や社会に貢献しているという自信を持つことで、達成されます。
 
「真善美」は、個々の「幸せ」。
「一体感」は、組織の「幸せ」。
 
【維】とは生存維持。

優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても、

その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。

移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。

組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく

人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。
 
これは、私もかねてから言っていることです。
「モノ」として捉えられることは、「幸せ」の大きな阻害要素だと思います。
「おまえ、使えねぇな」と言われて、「心」がザワザワしない人はいないのではないでしょうか。
ちゃんと一人一人が「一生懸命」生きている「生命」であると認識するところから、
組織の「幸せ」は始まると考えます。
その人が「幸せ」に生きることを真剣に願うこと。
その前提条件がなければ、やはり「組織」に「一体感」は生まれないのではないでしょうか?
 
・・・という訳で、全7回という長期にわたって、
流鑚識眞さんから頂いたコメントを読み解いてきました。
読み解こうとする中で「考察」し、私自身得るものも大きかったです。
 
また、もう一つ気づいたことがあります。
私には様々なものから、よい部分を吸収する資質があるような気がするのです。
 
なぜだか私には、普通に生きていれば形成されるはずの「知的防御壁」がありません。
いくつになっても好奇心旺盛ですし、
対象に対する「感心」や「感動」も持ち続けているようです。
それこそ「雑草」からだって学ぶことができます。
 
これからもそんな資質を使って、
このブログで「幸せ」の「本質」を「考察」「紹介」していきたいと思います。