「うつくし教」を流布したい

私はアマチュアながら、「哲学」という学問をこのブログで行っています。
主軸は、「基礎哲学」よりは「応用哲学」の方です。
 
学問には、「基礎」と「応用」という概念があります。
例えば、
「基礎物理学」ではビッグバンやブラックホールのような「宇宙の成立」や
量子力学相対性理論のような「宇宙のルール」を研究しています。
まさに天才と呼んで全く差し支えのないような著名な学者さん達が、
しのぎを削って新理論を展開中です。
一方で「応用物理学」という学問があります。
こちらは「基礎物理学」で得た知識を使って、
その知識を人間の役に立つようにできないかを模索する学問です。
 
「哲学」においても「基礎哲学」の分野においては、
人間じゃないと思われるくらいの頭脳の持ち主達が、
古くはアリストテレスソクラテスから始まり、
現代もものすごい難解な議論を展開しています。
一方で、「応用哲学」という分野もある訳です。
日本にも「応用哲学会(Japan Association for the Contemporary and Applied Philosophy)
という「学会」が存在しています。
 
さてそんな訳で、
私は現在まで培われてきた「基礎哲学」の「知恵」を、
「人生」を悩んでいる個々の人達のために使えないかなぁと日々模索している次第です。
 
私はたまに、ネットという場を使って社会に「幸せ」の実現方法を提言します。
その私の稚拙な提言が誰かの目にとまり、
そのことについて考えてくれたら、実は私の目的は達成です。
例えば以前『「リナックス型宗教」を流布したい』という提言を行ったところ、
実に、192のはてなブックマーク、174のツイート、82のフェースブック「いいね!」を
頂きました。
ですが、内容に突っ込みどころが多く、頂いたコメントの多くは指摘でした。
上記ブログのコメント欄を見て頂ければわかりますが、結構炎上しています(笑)。
でも、それでいいんです。
多くの方々が、日常のことを少し脇に置いて、
もう少し大きな枠組みの社会の矛盾や改善策について考えてくれたのだから。
 
という訳ですので、
本日も懲りずに、私は社会に提言します。
 
 私は、新宗教「うつくし教」を流布したい。
 
「うつくし」とは、「美しい」のことです。
個々の「美意識」を判断基準にして行動することを教義とします。
すなわち哲学者プラトンの提唱した「真善美」のうち、
「美」を拠り所にして生きよう!ということですね。
 
今までの宗教は、「真理」とか「善」を定義するところからスタートしておりました。
すなわち、神や指導的立場の人物の考えが「真」であり「善」だと先に決めてしまうのです。
聖書やコーラン、仏典。
しかし「真」や「善」は、異論の挟めない絶対的な共通解という性質を持っているため、
これを決めることは「争い」を生むということを、「歴史」が証明してきました。
実例なんて、私が改めて挙げる必要がないほど、枚挙にいとまがないですよね。
魔女狩り」「イスラム国(ISIS)」
共産主義という宗教による他教徒へのおぞましいほど凄惨な弾圧
 (ポルポト中国共産党によるチベットやウィグルや法輪功への弾圧)」
 ※中国共産党は、共産主義と言うよりは中華思想でしょうか。
 
私は、人類はまだ「真」や「善」に手を出してはいけないような気がします。
「真」は、いまだに「人類全体」が体得していないものなので、
これを掲げれば、必ず別の「真」と衝突するはずです。
また「善」は、「本当はその皮をはいだら「悪魔」なんじゃない?」と思うくらい、
人類に戦争の口実を与え、老若男女に終わらない地獄の「苦しみ」を提供しています。
「偽善」という言葉がある通り、
私は「善」は、「幻」や「まやかし」のたぐいではないかと考えている次第です。
(既に哲学者ニーチェが「ルサンチマン」を提唱して、看破していますが)
 
日本史上最大ヒットの漫画「ワンピース」には、
多くの「善」というか「正義」が登場します。
政府の軍隊である海軍の制服の背中には、
わかりやすく「正義」という文字が大きく書かれているのです。
そして、矛盾ある政府の「正義」が人々に悪夢を生み出す中、
別の多様な「正義」を掲げる海賊達が、
それぞれの「正義」の下に活躍・対立していきます。
 
 絶対的な「善」なんて存在しない。
 そこにあるのは、個々人の「美意識」だけです。
 
「美」は、「争い」を生みにくいという特徴を持っています。
それは「美」が、個々の「美意識」という固有の価値観(センス)から生まれるものだと、
社会全体に暗黙の了解があるからです。
「善」は、そうはいきません。
「偽善」という言葉があるとおり、
「おまえの「善」は誤っている!」という他者からの突っ込み待ちの概念なのです。
 
イスラム国(ISIS)」に付き従う兵士達は、
自分達こそが「善」と信じて行動していると思います。
一方で「ISIS」に対抗する国々も、
もちろん自分達の「善」という「正当性」を旗印に町に空爆を行うのです。
 
私は私で、どっちが「善いか」というジャッジも下せるのですが、
それをいくら「ISIS」に話したって、通じないのは目に見えています。
今回の件に限らず、「悪魔」だって「善」になれるのが、「善」の危険物なところです。
ヒトラーだって、ポルポトだって、日本に落とされた原爆だって、
当事者は「善」と信じて行いました。
 
「ISIS」の話に戻しますが、
もし「ISIS」と「連合国」が話し合いの場を持ったとして、
どっちが「善」か?なんてことを議題にしたら、
それは火に油を注ぐ行為だということを、誰しもが想像できる訳です。
 
それよりも、
「今は大変なことになっているが、この状況を収束させる話し合いをしよう」
ということであれば、両者の共通解が見出せるかもしれません。
この場で両者が使う価値観が、それぞれの「美意識」なのだと思う次第です。
絶対「善」の価値観を出したら、事態は一歩たりとも動きませんからね。
 
「美」や「美意識」の面白いところは、
「美意識」のあり方について個々人の多様性が認容されている一方、
「夕日や夜景が綺麗」とか、
人類に先天的に内在する普遍的なモノサシがあると認識されていることです。
ですから「美」は、
その個別性が認められているため他者との争いを生み出さず、
他者を尊重する土壌を生み出します。
また個々を越えた普遍的な共有性が認らているため、
「コモン・センス」としても機能する訳です。
 
私は、どっちが「美しいか?」というような「美」で引き起こされた戦争の存在を知りません。
一方で、「真」や「善」の食い違いから、歴史上頻繁に戦争が起きているのです。
  
「美」という概念は、非常に使えますね。
 
 ですから、私は「うつくし教」を流布したいのです。
 
教義は自分の「美意識」。
信者は美しいものに多く触れて、自分の「美意識」を磨くことを「勤め」とします。
 
偶像は、ギリシア神話から「美」の女神「アプロディーテー」にしましょう。
性神だと戦争を起こしそうなので、女性神にしておいた方が平和になりそうです。
 
どうでしょうか?
私と一緒に「うつくし教」を流布しませんか?
教義は2つだけ。
「自分の美意識に基づき生きよ!」
「多くの美に触れて、自分の美意識に磨きをかけよう!」
 
ちなみに私は、外見に気をつかうオシャレさんでは全くないです。
外見の「美」に気をつかう人を、もちろん尊敬しています。
 
ただ「うつくし教」で重視する「美」は、「内面」に根ざしたものです。
「内面」が美しければ、いつも素敵な笑顔をできるようになって外見も美しくなります。
もちろん、オシャレに気をつかえる人は、
その部分について素敵な「内面」を持っているはずです。
 
さああなたの「美意識」を、「人生」の指針に据えましょう。
「美」を、あなたの「人生」における「選択」の指南書にするのです。
そして多くの「美」に触れ、あなたの「美意識」を常に磨きましょう。
 
以下は、「THE BLUR HEARTS」の唄「リンダリンダ」の歌詞からの引用です。

ドブネズミみたいに美しくなりたい

写真には写らない美しさが、あるから

 

ドブネズミみたいに誰よりもやさしい

ドブネズミみたいに誰よりもあたたかく
 
あなたには見えますか?ドブネズミの「美しさ」が。