「つながり」を真剣に「考察」する

「同床異夢」という言葉があります。
テレビか何かで、瀬戸内寂聴さんが紹介していた言葉です。
 
例えば夫婦で同じ布団で寝ていても、
同じ夢は見られないということをおっしゃっていました。
愛の情熱は3年くらいしか続かないので、
夫婦は苦楽を共にして愛情を持ち続ける必要があるというお話です。
 
私は、この言葉に「つながり」の限界を感じました。
「まあ、そうだよなぁ」と。
他者とは、究極につながることはできず、
どこかで妥協をしなければいけないと感じた次第です。
 
ならば「つながり」を追う「意味」とはなんだろうな?と感じます。
 
恋愛を始めとして、多くの人々は「つながり」を求めて彷徨っている訳です。
そして「つながり」を求めるあまり、傷ついたり争ったりします。
 
はたしてそこまでの「価値」が、「つながり」にあるのでしょうか?
「つながり」を追い求めることに何の「意味」があると思いますか?
例えば「つながり」を追い求めるあまり、
ロミオとジュリエットは死んでしまった訳ですが。
 
「寂しい」から「つながり」を求めるんだというのは、
理由のようでいて理由ではないと考えます。
 
これだけ、人間を「喜怒哀楽」「右往左往」させる魔性の「つながり」。
少し踏みとどまって、その「本質」を知るべきです。
 
私達が「つながり」に求めているものは、本当は何なのか?
これを「言葉」で説明することは、非常に難しいことだと思われます。
 
さて物事を検証するには、究極の実例を観ることから始めるのが楽です。
この究極の実例として、同性同士の友情をターゲットにしようと思います。
「恋」や「愛(博愛ではなくてラブの方)」は、
本能的衝動が不純物として含まれているので、検証材料としては不適です。
「本能」でなく、純粋に「心」が追う「つながり」というものがあると考えます。
 
今回私が挙げたい事例が、
戦国武将の大谷吉継石田三成の友情です。
詳しい話は、私の過去ブログを読んで下さい。
結構「心」にグッと来る話です。
それに、人に話しても興味を得られるネタだと思います。
オススメです。
 
さて、ここでは概要をさらりと。
大谷吉継は、豊臣秀吉に「100万の兵を指揮させたい」と言わしめた名将です。
大谷吉継石田三成は、ともに秀吉の家臣であり、
二人の間には強い友情が結ばれていました。
その二人の強い友情の発端となったエピソードが、感動的です。
上記の私のブログから引用します。

天正15年(1587)大坂城で開かれた茶会において、

招かれた豊臣諸将は茶碗に入った茶を1口ずつ飲んで次の者へ回していきました。

この時、ライ病(当時の不治の病)であった吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い、

後の者達は病気の感染を恐れて飲むふりをするだけでしたが、

石田三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み

気軽に話しかけてきた。

(一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ち、

周りの者達はさらにその茶を飲むのをためらったが、

三成はその膿ごと茶を飲み干し、

おいしいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしいと

気を利かせたとされる)、

その事に感激した吉継は、

石田三成に対して大きな恩義を感じたとのことです。
 
時代が下り、関ヶ原の戦い
大谷吉継は、石田三成の陣営にいました。
石田三成に家康打倒の計画を打ち明けられ、
時代の趨勢を理解していた吉継は、冷静に三成を諫めます。
 
しかし、三成の決心が揺るぎないと観るや、
最後は西軍に味方すること、そして自らの命を三成に預けることを誓ったのです。
 
実は、時代を読んでいた吉継は、家康とも親しい間柄だったと言います。
それでも吉継は、自らの利得や命よりも、三成への恩と友情を優先させたのです。
 
関ヶ原の戦いにおいて、吉継は素晴らしい活躍を見せました。
小早川秀秋が裏切ることを予見した吉継は、小早川陣営のすぐ隣に陣を張り、
小早川が裏切ると、直属の兵600で迎撃をしたのです。
1万5千人の小早川隊を一時は500メートル押し戻し
2、3回と繰り返し山へ追い返したといいます。
しかし、他の寝返った武将の攻勢も受け、彼の隊は壊滅。
大谷吉継は戦場にて自害し、享年42歳にて亡くなったそうです。
 
この吉継との戦いに参戦して死闘を演じた敵将に藤堂高虎がいます。
後に彼は吉継の高潔さを称えて、吉継の墓を建てたのだそうです。
その墓は今でも関ヶ原の地にあり、現在も絶え間なく花が手向けられています。
 
大谷吉継が、自分の命を賭して殉じた「つながり」とは何だったのでしょうか?
私は、その「つながり」をとても羨ましく思います。
自身の「命」を賭してでも護りたい、高貴な宝。
 
茶会の話がよい例ですが、
究極の「つながり」には「恩に感じる」ことが重要だと、私は考える次第です。
「命の恩人」という言葉がありますが、
「恩」とは、「救う」「救われる」の関係性から生じると私は考えます。
自らは「損」をしてでも相手の窮地を救う「魂」の輝き。
 
あなたは、誰かを「救った」ことがありますか?
もちろん「恩」を得るために他者を「救う」行為は、偽善です。
ただ、真に相手のことを想って、自らの身を賭して、
利害を超越して相手を救ったときに、
その先に究極の「つながり」が眠っているのかもしれないなと想います。
一生に一度でよいから、この至宝を体験してみたいです。
 
大谷吉継は、42歳でこの世を去りました。
私も今ちょうど42歳です。
 
この年齢のうちに彼の墓に参り、本当の「つながり」とは何か?ということを、
彼に聴いてみようかなと想います。
 
(右が「大谷吉継の墓」、左は吉継側近の従者「湯淺五助の墓」)